2016年2月7日日曜日

◆2015年【10月2期】心の交流コンサート レポート◆  by萩原ゆたか
大変遅くなりましたがご報告させて頂きます。今期も、南三陸地域支援ネット「架け橋」中澤竜生先生にコーディネートして頂きました。今回もまた、様々なご支援、お祈りに支えられて全てのご奉仕を終える事が出来ました事、皆様に心から感謝申し上げます。 地元で継続支援されている皆様のご様子も含め、ご紹介させて頂きます。

<行 程> 10/14~18

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      14() (南三陸)仮設訪問、チラシ配布、

 個人訪問、情報交換、お礼訪問、等

      15() (登米)  YY仮設住宅

16() (石巻)  NSP仮設

                                        17() (気仙沼) KK仮設住宅

                                        18() (登米)  錦織バプテスト教会

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1期目に車の問題が起こり、現地スタッフの皆様には大変ご苦労をおかけした事もあり、今回後半は、車持ち込みで伺いました。メンバー:萩原ゆたか/万年崇子/萩原正典


<それぞれの様子> 


1)10月14日(水):石巻・南三陸にて: 当初、仮設住宅でコンサートが企画されていましたが、地元の選挙関連で集会室が使えなくなりましたので、中澤氏に同行し、被災地・住民訪問(挨拶と情報交換、昨年チャリティーのお礼)や、仮設訪問(ラシ・ポスター配布と声掛け)等で、現地の様子・生の声に触れる事が出来、有意義な時となりました。以下詳細です。


 
1◆石巻の 大川小学校跡 を訪ねる。

そこは、広大な北上川の下流域にあっても、海から蔭になるために津波が見え辛く、また過去に津波が来なかった事からか、逃げ遅れた小学生が沢山おられた悲しみの場所です。
 
(写真:普段は穏やかな 北上川 )


左の建物の2階から右の建物までは、渡り廊下で繋がっていたそうですが、左方が落ちたままです。コンクリート塊が奥に向かって捩じれ、津波の威力の大きさ恐ろしさを伝えています。



2◆悲しみを背負っておられるであろう方々に思いを馳せながら、対岸にある NSP仮設を訪れて2日後のコンサートの下見をし、集会室の和室にいたお母さん達にご挨拶、チラシ配布です。早く配ると忘れちゃうのだそうです。今回解ったのは、一つのイベントのために、毎回繰り返されるであろう、時間のかかる準備の様子でした。
例えば、ポスターデザインがなされます。それを、2時間かけて集会室へポスターを貼りに行き、一週間程して更にチラシ配り、そして、直前に声掛けをします。イベントを成功させるためには、何度も来場しての、かなりの手間暇がかけられています。しかも、ご自宅から2時間前後かかる場所での活動が殆どなのです。イベントも複数掛け持ちです。

引き籠りによる孤独死も心配される被災地で 個々の必要を知るためには、部屋から出て交流に繋がって頂きたいと、熱い思いで地道な努力が注がれ続けている事を確認し、頭の下がる思いでした。

3◆その後、南三陸に移動。幾つかの仮設にて、クイーンズ倶楽部(健康講話)のチラシ配布。病院が流されて、隣町まで医者に通わなくてはならなかった町民待望の、新しい南三陸病院が201512月に開院予定のため、婦人科の中村医師による 仮設訪問講座が企画され、南三陸チームとタッグを組んで、毎週のように進められていました。

中村師と中澤氏との協力関係は、図らずも2014年に老人福祉施設で歌わせて頂いた時がきっかけだそうです。神様のご計画が繋がっている事をしみじみ覚え感謝でした。
4◆O地域の隣組長を初訪問。地域内にある仮設団地集会室での、クイーンズ倶楽部 開催の趣旨案内とご挨拶をしつつ、地域(仮設団地の周囲)住人へのチラシ配布を依頼しました。結果、回覧板に入れて下さる事となり感謝でした。

このように、仮設団地内に限定されたイベントも、町立病院の案内も兼ねる健康イベントであるならば、立場の違う(家のある)仮設周辺住民の皆様も一緒に交流できる機会が提供されます。これは、貴重な機会であることを思いました。

5◆中澤氏チームの純粋な支援活動をよく理解してご協力下さる 地元の方々にお会いする中、教えて頂いた事があります。地元ならではの微妙な力関係や歴史、複雑な事情が絡み合っている場合があるので、継続支援する中では、それに影響されない関係を育くむための、知恵と祈りが必要であるとの事、大変勉強になりました。

6◆次に、仮設商店街で働くNさんと会いました。彼女は、一般ボランティアとしてこの地に入り、地元の方と結婚する事となり、ボランティア仲間の中澤氏が司式をされたそうです。まだ多くの方が悲しみに暮れる時期の結婚に対する賛否両論に翻弄され、辛い所を通りましたが、避難所の皆さんに祝ってもらえたという、特別な結婚式だったそうです。


 こういった、信頼で結ばれた太いパイプを更に育てながら、行政や地元の力では解決できない部分の必要にも到達されている事を知りました。

 7◆次は、2014年に東京で開かれた、ラブイースト様主催の「クリスマスチャリティー&コンサート」において、地元の声として取材に応じて下さった、童子下地区のお二人にお会いする事が出来ました。お二人は以前の訪問がご縁で、お写真やコメントでご協力をお願いし、快諾して下さった事で、被災地の情報が入り辛い東京の方々に、臨場感ある様子をお伝えする事が出来たのでした。

その後も、寒くて狭い仮設住まいを余儀なくされながらも、地区の皆様と励まし合いつつお仕事されているご様子に励まされます。そして、津波を乗り越えたという、貴重な球根を頂き、家に持って帰りました。見るたびに、津波に耐えた球根の強さと、耐えておられる皆様の強さを重ねながら、花が咲くのを楽しみにしています。
 
 
 
 
2)10/15 木 (南三陸)へ
午前 は、宇都宮から駆けつけた万年さんが合流し、志津川中学校で、台湾からの被災地支援ツアーの皆さんと合流して機材の受け渡しをしました。10日の被災地訪問だそうです。海外からも心寄せて下さっている事に感謝でした。


◆午後 (登米) YY仮設住宅 コンサート&お茶っこ:
ライフワークサポート響(ひびき)の阿部氏が継続支援されている仮設団地で、コンサートとお茶っこです。どういう訳か、皆さんなかなか集会室に入って来られません。どうも、住人同士の微妙な約束事があるようで、一人の方が遅れているので、全員そろってから談話室に入ろうとされているご様子でした。やっと集まりましたが、小さい所では交流も大事にしているので短かめのコンサートとなりました。
若い自治会長さんが、年齢の高い24世帯の方々をケアしておられました。こちらは、南三陸関連で最後に出来た仮設ですが、大手住宅メーカーが手掛けた良質の建物で、復興住宅として分譲する事になるそうです。他の仮設の方々が、寒い、壁が薄い、隙間風が…と言われる中、割合恵まれている方だとの事でした。
 
ここは登米市にある仮設。童子下のSさんが写真を撮りに来て下さり、お陰で、お姉さま方と話が深まりました。町中から離れているせいか、良い情報交換になったようでした。
 
 
 
笑顔の皆様も、よく聞けば、親戚11人流されて その内5人が行方不明の方。
親戚5人流された方等、悲惨な状況を耐えてこられた方々です。
◆無口で伏目がちな奥さんは、最後に一言「ご主人が流された」と言われました。「自分は、仕事場から高台に逃げて助かった。ご主人はきっと、家で奥さんを待っていたかもしれない」と、ご自分を責めておられるようにも見えました。
 
仮設前の狭い路地を耕し、元気な野菜を作って友人や仮設の皆さんにお分けして喜ばれているそうです。万年さんと話す声が聞こえました。「野菜あげて、人に喜ばれて、良い事してますね。」「そうかな、こんなでも大丈夫かな。」と自分の存在意義を確かめているかの様な言葉でした。
 
今となっては確認するすべもない、震災時の家族の気持ち。答えが出せぬまま、混沌とした気持ちで生き続ける人。ちょっとした励ましや、後押しがあれば、自信を持ったり 前に進める方々が、こんな形でいらっしゃるのかも知れないと感じました。
 ◆帰り際、会長さんから、手押し車4台を工面して欲しいと依頼されたそうです。中には、2-3万円という極少ない年金だけで、食べるのも大変な方達がいらっしゃるとの事。生きる為に必要な、具体的な支援を、気軽に申し出て頂ける関係作り…それが本当の支援に繋がっている事を感じました。
 
 
3)10/16 金  早朝、北関東から機材や楽器を運んできた萩原正典氏と、仙台で合流しました。この後は、現地チームの方々に、機材や楽器、荷物運びや、送迎のご迷惑をかけずにすみ、ほっとします。
◆午前 お茶っこ用の茶菓を購入後、石巻へ移動。海を見下ろす、日和山に登りました。3000軒を超える人家が立ち並んでいた市街地が、津波と火災に焼き尽くされたそうです。4年前は、壊れかかった家々や無残に倒れた墓石の間を通りましたが、今は、ごく一部の工場以外何もありません。今後は何も建てられず、祈念公園となるそうです。
 
◆午後 (石巻)NSP仮設住宅:先日チラシ配りで訪れた場所に戻ってきました。ここは、ライフワークサポート響の阿部さんが、一軒一軒回ってケアしておられる仮設団地です。

さて、こちらも皆さんなかなか集まりません。聞くと、金曜は惣菜屋、焼鳥屋さんが来る日。一人暮らしも多いので、美味しいお惣菜を買ってから集まるとの事。
 
そのうち、焼鳥屋の流す、細川たかしさんの演歌が大きく響いてきました。相手が細川さんでは太刀打ち出来ませんが、それでも歌い始めていると、買い物が終わった方からご参加下さいました。自由に買い物に行けない状況下での、食の確保は重要です。場所によって、事情ってものがある訳ですね。
 
 
 
 
始まると、一緒に歌うのがとても楽しそうでほっとしました。
コンサート後は、ケーキと野菜ジュースを両手に、皆さんのお話を伺いました。伺うと、93歳やら、88歳やら。いつも和室に集まっている6人程の方を中心に、若目の50代迄。
 
 
 


 ◆帰り際、いつものように和室に集まっていた一人の方が、重い足を引きずりながら、わざわざ外に出て見送って下さいました。その時、そっと言われた言葉が、とても印象的でした。

「折角ここで仲良くなった私達、それぞれがバラバラの復興住宅に入ったら、気軽に集まるところが無くて辛い」…と胸の内を語って下さいました。「すぐ近くに見える団地に移っても、手押し車ではもう集まれない。集まれる場所も無くなる。今の方が良い」…と、年齢を重ねた末の、将来を憂いて

ぽつんと教えて下さいました。
 

新しい住宅に入っても、また一から人間関係を始めなくてはなりません。新しい環境に慣れるために、また、どれだけ時間がかかるでしょうか。でも遠くには歩けません。心の叫びなのだと感じました。

 そして、「また来れるようにしてよ」…と念を押して手を握られ、何時までも手を振って下さいました。切ない気持ちで、お母さんの笑顔に見送られました。
 ◆コンサート中、部屋の壁を背に、目を閉じて鑑賞していたお父さんがいらしたそうです。中に入るのが照れ臭かったのでしょうか。感謝します。帰り際、今度は3人で大川小学校に立ち寄りました。
4)10/17 土:は、更に北上して、気仙沼に移動です。


気仙沼は初訪問です。流されてしまった海側は荒涼としており、以前は殆どなかったという、都会並みのビルの復興団地や コンクリートの公営住宅が建設ラッシュです。


先ずは、気仙沼第一聖書バプテスト教会に立寄りました。流れてしまった十字架をどなたかが教会の敷地に戻して下さり、新しい場所に移って復興支援の拠点になった事を伺いました。

その後、昼食を頂きながら、ライフワークサポート響 の阿部氏と合流し、活動についてお聞きしました。


◆実は、中澤先生チームは、最近、阿部氏が 長年一人で支援を続けてこられたコミュニティーに、共同支援に入るようになられたそうです。支援活動対象が広範囲で多数のため、支援者同士が連携して、情報を提供・共有し合う事で、より細やかで多角的な支援を届けられるそうです。被災者ばかりでなく、地元支援者達が、孤立せずに励まし合い知恵を出し 合う事は、まだまだ長期戦の支援を続ける上で、重要な事だそうです。


復興庁によると、仮設住宅団地の数は、南三陸町で 58団地、気仙沼 87(※参考、石巻 131)との事。新しい復興団地が出来始め、移住の途上で統廃合が進む時期ではありますが、まだまだ広範囲に、多くの被災者がいらっしゃる中、前向きで 知恵を絞った協力体制を工夫しておられる事は、希望に繋がりありがたい事であると思いました。


◆午後 (気仙沼) KK 仮設住宅 

準備中、ここまで3時間もかけて案内して下さった中澤氏は、さっきついたばかりなのに、急用の為、仙台へ戻られました。本当にお疲れ様です。
 

お世話役の阿部さん司会の元、時に頷いたり、目頭を押さえて、一生懸命聞いて下さいました。コンサート後、今度は皆さんのお話も伺いたいと思いましたが、人数が多かった事もあり、さほど伺えず残念に思っていました。
すると、何かお返しをしたい…と、お茶の先生が戻ってこられ、無花果のお菓子と共に、それは美味しいお抹茶をふるまって下さいました。

 

 
 そうしている内に、仮設イベントでは珍しい、自治会の頼もしい男性役員の皆様が戻ってこられ、プチ2次会を始められました。そこで、改めてゆっくりと、色々な話をお聞きする事が出来たのでした。
お話によると、ここは気仙沼で一番早く出来た仮設団地。当初、日本は元より、世界中から支援イベントが入り、最も多い時には一カ月に45ものイベントをこなしていたとの事。ところが、4年半経った今、月に2-3件しかないそうです。しかし、まだ、盛土が落ち着いて新居に入れるまで、3-4年も仮設暮らしが続く方もおられます。誰しも取り残されていく感は否めない事でしょう。
 
そんな折、私達が伺ったことを大変喜んで下さり「忘年会にもきてほしいなあ」…というお声を頂きました。とても嬉しい思いに感謝しました。これから環境が変わって行くお一人お一人に沢山の祝福がありますよう祈りつつ別れたのでした。
 
 


5)10/18 日 午前 (登米) 日本バプテスト同盟 錦織バプテスト教会 
ツアー最後の朝は、高台の歴史ある教会で歌わせて頂きました。
 
気さくにおもてなし下さった 天野先生ご夫妻に伺ったところ、こちらは保育園を併設されており、地域には卒園生が多数いて、地元から「教会さん」と呼ばれて大事にされているそうです。このような形もまた「地域に根差す」一つの形である事を感じました。
 
 
都会だったら人気スポットになりそうなレトロな木造建築は、どこを見ても懐かしくて絵になります。お近くに行かれた際に、寄ってみてはいかがでしょうか。自然に囲まれたサンルームでお茶を頂き、暖かい時間を過ごさせて頂きました。
 
 
 
 
◆そして、午後 (登米)イエス福音教団 宮城教会 にて、バーベキューのおもてなしを頂きました。こちらは、昨年夏に伺った田んぼの中の気持ちの良い教会です。初日にお会いした台湾チームが寝泊まりしておられ、来年も続けて訪れたいとの事でした。海外からも継続的な支援の気持ちを注いで下さるお姿に感謝しました。
 
おもてなしを受けながら、以前、中澤先生からお聞きした言葉を思い出しました。
被災地、及び、近隣の教会は、支援活動に心がありながらも、様々な事情により、全てが積極的に被災地に「出かけて」行けるわけではない。しかし、この地域チームは、共に協力し合い、後方支援でそれぞれが担って下さるチームワークがあり感謝 との事でした。
私達も台湾チームも、その後方支援を受けさせて頂き「支援者をもてなす」という役割を担って頂いていたのではないかと感じ、その暖かさと、美味しさにお腹いっぱいになり、旅の最後にほっとする事が出来ました。

 
<まとめとして>
1◆2期は、一週間弱の長いツアーとなりました。歌うだけでなく、その前後、沢山の方とお会いし、状況を学ばせて頂けた事は、貴重な経験となり、被災地の皆さんのお気持ちや必要に対する理解が、少し深まったような気がしました。
2◆被災から5年目となる、20163月は、丁度、復興住宅へ移住される方も多く、一つの区切りとなる時期との事。復興住宅で孤立してしまった方も、仮設時代の関係がきっかけになって良い方向に向かう事があるそうです。
支援から共働へと少しずつシフトする中で、残る仮設住宅を回っての関係作りと、その後に続く、新しい団地での関係継続につなげられたら…と、色々な方と協力関係を持って、将来に向けた準備をされているご様子が印象的でした。

3◆今回も、東北応援団ラブイースト様(一部、東北ヘルプ様)より、必要経費の一部をご支援頂きました事を、心から感謝申し上げます。先の長い復興の過程を歩まれる皆さんを、日本中で憶え続ける事ができたら幸いに思います。お祈り、応援をありがとうございました。

感謝をこめて♪萩原ゆたか♪
 


 

 

 

2016年1月27日水曜日

2016年1月の釜石と山田での活動報告

 昨年の九月から大分時間が過ぎましたが、1月22日(金)から25日(月)まで「一般社団法人 いっぽいっぽ岩手」さんのコーディネートで、釜石と山田を訪ねることができました。昨年末に今年1年間の訪問予定を組みました。まずは今回の1月、そして4月、7月、10月の4回を予定しています。40年に1度の寒気に見舞われるとの中でしたが、今年の第1回目の訪問を滞りなく終えることができました。東北応援団 LOVE EASTの支援者の皆様に心からの感謝を込めて、今回の活動の報告をさせていただきます。

2015年11月12日木曜日

心の交流コンサート レポート

◆2015年 心の交流コンサート レポート    by 萩原ゆたか
【第一期】2015年10/1(木)~10/5(月) 

 秋も深まる10月、昨年と同様、南三陸の地域支援ネット「架け橋」の中澤竜生先生のコーディネートの元、東北応援団ラブイースト様からの派遣で、二期に分けて訪問させて頂きました。

東北を思ってお捧げ下さった皆様のお気持ちを、音楽の種まきを通してお届けできたのではないかと思います。昨年のレポートから一年経った地域の状況や、継続支援されている現地スタッフの方々の様子も含めて、ご報告させて頂きたいと思います。
                        
                       
                       <行程>

1日午前 (南三陸)仮設訪問、チラシ配り
ポスター張り、産物交渉
午後     情報交換、中澤氏活動報告会、等
2日午前 (南三陸) AT2期仮設住宅
午後 (登米市) 登米苑 特別養護老人ホーム
3日午後 (南三陸) HMT仮設住宅
4日午前 (石巻)  渡波キリスト教会 礼拝賛美
5日午後 (南三陸) HLK仮設住宅 &地域
「クィーンズ倶楽部」












<被災地の今・南三陸> 
街中が工事現場/町を見下ろした写真中央に 防災庁舎が見えます。緑の山は削られ、見渡す限り盛り土が積み上げられ、ダンプと重機が忙しく働き、海岸線にはコンクリートの壁が作られています。(撮影 2015.10.05)
3階だけが見える 防災庁舎

津波に覆われた高さまで土が覆います

高台宅地造成の為 緑深い山は削られ


工事車両は パレードのようです

<訪問へ向けての準備>
被災から4年7カ月、復興の遅れている南三陸も、仮設を出て復興住宅へ移る方も出始めています。しかし、新しい高台の宅地は、まだ山を削っている最中。造成に、まだ3年はかかるだろうとも聞きました。個々別々の状況下で、諦めムードでなく、何とか状況を乗り越えて頂きたい、応援の気持ちを伝えに行きたい…と考えていましたが、今年前半は行く事ができませんでした。

一年ぶりの訪問となった今回は、小さな仮設の小さな集会所でも歌えるように、小さな音響機材も用意できて準備万端でした。ところが、直ぐ状況変化が起こりました。多くの荷物を運んでいた車が、急遽、小さい車に変わり、機材や楽器を運ぶのが困難との事。

どうなる事かと思い祈りましたが、結果的に、南三陸チームの宣教師の方々が4日間一緒に行動して下さり、素晴らしいお交わりに繋がりました。またある日は、東北ヘルプさんより普通自動車を貸して頂き、大変お手間をかけてご準備頂きました。

私達が伺う時、背後で何人もの地元チームの方が動いて支えて下さっている事を 再確認する事となったのでした。多くの方に祈られ支えられて、初めの一週間が始まりました。

<それぞれのようす> 今期メンバー:萩原ゆたか+南三陸チームの皆様
(2日目は仙台より、高奈美香さん応援)

1) 10月1日(木):中澤先生の活動のお手伝いと見学: 
初日は南三陸チームの皆さんの、日頃の活動を知る、貴重な機会となりました。

◆午前 (南三陸)海苔屋さん訪問/南三陸での医療支援イベントの経費(茶菓代)を捻出するために大阪で開催される、チャリティーで販売するための仕入れ交渉に。地区長さん同行の元、美味しい海藻の食べ方など教わりながら、地産物を消費して、現状を紹介し、支援を募る…という3つの事を同時にされている、細やかな配慮を感じました。

◆地区長のお話によると、長野県H村の宣教師さん達が、狭い仮設暮らしの気分転換にと、何度か住民をペンションに招いて下さったそうです。この後、訪れた仮設で、数人から「私も行ったよ」とお聞きし、愛を持って提供された行動は、被災地の方の中で、みな繋がっている事を実感しました。小さな支援も、つながって、結果的にキリストの愛を伝えている事を思いました。

◆途中、戸倉で仮設訪問。仮設リーダーのSさんと顔を合わせての情報交換は、地域の必要に耳を傾ける大事な機会なのでしょう。私も昨年末、東京での「クリスマスチャリティートーク&コンサートイベント」にて、地元の声をご紹介させて頂いた際大変お世話になり、一年ぶりのご挨拶ができて感謝でした。

◆浸水した戸倉中学校は、3.11の「語り部バスツアー」の立ち寄り所となっています。観光バスが何台も訪れては、被災の恐ろしさを伝えています。丁度、海外取材人らのバスが到着したところで、アポなし取材に、初めに居合わせた住民らは後ずさりしました。その後、中澤氏から用事で呼ばれたS氏が、すっと対応に入られました。
                     
仮設住宅の内部を取材する外国人記者
各国の取材人




















壁が薄く、狭く、隣が近く、ただでさえプライベートが守られにくい仮設で遠慮しながら暮らしている所に、がやがやと来て プライベートスペースにも入っていく…なかなか、やっかいな環境で大変そうだなあと思いました。しかし、S氏の様に、風化させてはいけない、伝えなくては という責任感を持つ方々が、ひるむことなく、津波とその影響を、世界に 子孫に語り継いで下さっている姿が眼に焼きつきました。

◆午後 (南三陸)「被災地活動報告会」@アリーナ:
大阪から個人参加された 被災地ツアーメンバーの 落語イベントへ合流後、中澤氏による報告会の 会場設置、手伝い。
  

















◆中澤先生による報告会では、震災直後から現地の方々に寄り添い続けているお立場でこそ見える、現在の、近い将来の問題と対処、地域に対するキリスト教会の具体的役割…等について、経験からくる貴重なお話をお聞きする事が出来ました。

少子高齢化により、日本全体が直面する2025年問題。被災地では更なる問題が重なり住民に大きな重圧がかかります。今までの制度だけでは支えきれず、新しい制度が必要との事で、先ごろ、仙台で、大学教授、社協などと協力してNPOを立ち上げ、具体的な働きに入られたそうです。被災地は日本全体の問題の雛型になりえるそうです。教会の役割も、被災地に注目する事で日本全体が学べるのでは…とは参加者のご意見であり、私も同感でした。報告会も無事終わり、登米市まで送って頂きましたが、中澤氏はその後も、急用で帰る方を、仙台空港まで送っていかれました。細やかなお働きに頭が下がります。

2)10月2日(金) :リーシン&クリスティ宣教師が同行して下さり、中澤氏の方は、本日ゲストで加わって頂く 高奈美香さんを仙台で拾ってから移動して下さいました。

◆午前 (南三陸) AT2仮設住宅:(8人程参加)

住民の皆さんは、チームメンバーを見ると笑顔になり、心待ちにしているのがわかります。あんた歌上手いね…等と誉めて頂きつつ、コンサート後のお茶っこでは、いつもそうしているのだと言って、漬物、枝豆、飴などをお母さんたちが持ち寄って下さいました。


集まって下さった方々は、お互い良く話せる関係が出来ているようでした。皆さん其々、復興住宅に移る事が決まり、先ずは数カ月先の目標に向かって明るい表情をされていました。でも、折角築いたここでの人間関係は、別々の復興住宅に入って行く時に一変し、問題が沢山出てくるのだそうです。お姉さま方の笑顔を見て、たくましくいて頂きたいなあと思いました。枝豆でお腹がいっぱいになり、またきっと会おうと言って別れました。


◆さて、この辺は三陸地方ならではの小さな入り江が入り組むとても美しいエリアです。
陽を受けて輝く海 美しい景観が広がる

無機質な防潮堤が景観を遮り始める

しかし、将来、視界を遮る高い防潮堤でおおわれてしまい、この宝物のような景色は失われるのだそうです。海を愛する地元の方々にとって、どれほど複雑な心境であろうか…が容易に想像できるように思いました。

山を崩し、海岸線を固め、元々あった豊かな景観を崩している現実が痛々しいです。山の森が、美しい水を、魚の沢山集まる海を作り出している…と学校で教わった覚えがありますので個人的にも複雑な思いです。どう、現実と向き合っていくのが良いのでしょうか。


◆驚いたのは、こういった再生計画は、元々、地元住民から出たものでなく、都会の大手会社の案が主導で進められているとの事を伺いました。津波で家族を、家を、持ち物を、友人や思い出の品をも無くした方々が、まだ何とか残っている、小さいころから見て来た 思い出のいっぱい詰まった、ふるさとの景観まで失うのだろうか…何とかならないものだろうか…と外部の人間ながら切なく思うのでした。それに、せっかくの美しい海岸線が無くなると、観光面での打撃も大きいのでは…と 海に憧れる私は思ってしまいました。






◆午後 登米苑(特別養護老人ホーム): (参加:25名程・職員10名程)

隣町に移動。南三陸チームの皆様は、同じ場所を何度も訪れて継続ケアされていますが、地域は広く、仮設数は多く、まだまだ、新しい関係を開拓していらっしゃいます。仮設だけでなく、隣接する地域との関係も築かれます。被災者の家族がいたり、引っ越し先に近かったり、色々な関係が繋がります。こちらはチームとしては初めてのイベントとの事。




イベント広場は幾つもの廊下に繋がり、音が拡散して聞こえ辛いので、中澤義道氏に音響をお願いし、高奈美香さんと一緒にコンサート。手拍子をして下さる入居者の皆さんに、ケアされる若いスタッフの皆さんが寄り添います。被災された方々もおられる事でしょう。日々のご苦労もあるでしょう。沢山の祝福がありますように祈りつつ歌いました。








3)10月3日(土)(南三陸)HMT仮設住宅: (10人程参加)

住民の方が、スタッフを心待ちにしていました。普段からの良い関係作りを感じました。コンサートとおしゃべりが並行する中、かなり心が耕されている方が何人もいらっしゃる感じを受けました。食い入るように歌を聞いて下さり、心開いてお話されます。

 ◆最後から3曲目に遠慮がちなご婦人が入って来られました。気になっていると、お茶っこで私のお隣に来るように年配の方が促し「この人、ご主人が亡くなってまだ一カ月なんだよ」との事。今までトイレが外にある借家を、みなし仮設として利用していたが、ご主人の病でスロープ付きのこちらの仮設に一カ月少し前に入居できて、喜んでいたのもつかの間、ご主人は直ぐに入院、そして戻らぬ人となり まだ1カ月だそうです。何という事でしょうか。私の歌を聞いて自分の事と重なったと、涙ながらにお話下さいました。
  


お話を伺う内、私の中で祈らせて頂きたい思いが沸きあがってきてしまいました。そこで、様子を見つつ、ご本人に説明して許可を得、祝福のお祈りをさせて頂く事となりました。私にとって(特に仮設では)珍しい事ですが、周りの方も違和感なく受け取られ、自然な空気が不思議なほどでした。その後、別の方からも、実はベッドから動けないご主人が近くにいるから…と、ご主人の所で歌う事になり、お祈りもさせて頂く事になりました。

聞くと、韓国系キリスト教会の先生ご夫妻が、日常から細やかな訪問と親身なケアをされているそうです。聖書の話やお祈りもされ、ここの仮設の皆さんはそれに慣れているのだそうです。なるほど…祈られ続けてこその、この展開である事をしみじみ思いました。

人の心は耕されていると解るのだなあと思いました。種を撒くのに程よく耕され、柔らかく偏見の少ない心。いえ既に種は撒かれていて、気持ちは希望に向かっている方もいらっしゃるかも知れません。被災地に在って、真に隣人となって丁寧なケアをされている皆さんがいらっしゃる事に心から感謝致しました。そして、まだ深い悲しみにある皆さんのお心が温かさで包まれ、真の希望に向かって歩めるように、心から祈りました。

4)10月4日(日)午前 (石巻) 渡波キリスト教会(鈴木修三牧師):
礼拝にて、スティーブン・スミスドルフ宣教師ご夫妻のメッセージ(通訳 契子黒田スミスドルフさん)の前に、賛美と証の時間を持たせて頂きました。

新築地域に建つ教会は、震災後多くの支援をもたらして下さった、サマリタンズ・パースという団体が 撤退前に作られた教会で、周りは復興住宅地だそうです。

◆石巻でも被災された方が沢山おられます。こちらには、被災後 初めて教会に集うようになった方が40名程いらっしゃるそうです。泥と瓦礫だらけの家で途方に暮れていた時、サマリタンズ・パース初め、海外からも、泥出し・片づけのボランティアが訪れ、見ず知らずの人たちから自分の家を綺麗にしてもらい、それがきっかけで教会に来られるようになった方も多いそうです。男性が多いのも印象的でした。


時間よりかなり前に到着すると、入り口の椅子にすわり、気持ちよさそうに風に吹かれている色黒の男性がいました。フタッフの一人を見つけるなり「酒とたばこ、やめたよ」と報告されていました。美味しい佃煮工場のオーナーさんだったそうです。中には腕の良い漁師さんだった方もおられました。色々な経験をされた方がおられるそうで、お一人お一人からお話を伺ってみたくなりました。




◆こちらの教会では、教会文化に慣れない方が多く集われているので(考えてみたら日本中同じかもしれませんね)色々工夫されているそうです。先ず気づいたのは、週報に歌詞、聖書の言葉、祈りの言葉が、全て大きな字で載っていて「普通の言葉」で説明されており、とても親切です。平日には自由に参加できるサークルもあります。

また、司会される先生のお言葉遣いが、上から目線でなく、長年世の中を渡って来られた先輩方に敬意を表するような敬語遣いで、愛情を持って丁寧に語っておられたのが新鮮でした。淡々とした中にも、ウェルカム(ようこそ)、ここにいて下さって嬉しいです…と心から言われているような、そんな空気を感じました。

◆お聞きしたところ、クリスチャンでない方に献金はなく、支援の意味で100円の会費制で美味しいランチが頂けて、更にビンゴゲームでお土産まで付くとの事でした。良くある教会の簡単ランチより、少し手が込んで量もあり、頂く楽しみが感じられました。

また、淡々と進むビンゴゲームは結構楽しいもので、リーチが早いからと言って早く上がれるものでもないのですね(笑)気の利いた景品からなくなって行くスリル感の中、私も梨を頂きました。
食事をビンゴを楽しむ皆さん

参加者の方も 静かに楽しんでおられる様子で、礼拝の時間全体を最後まで楽しんで頂こうという教会側の配慮を感じました。後で聞いたところ、ランチの材料代として、向こう何年分かを献金して下さっている団体があるそうです。なるほど、ここでも色々な方の支援と祈りが組み合わされて、被災地の皆さんをケア、フォローしておられる事を知り、心が温まりました。

◆礼拝後の聖書の勉強会に参加し始めた…という方に、一緒にどうですか…と誘われました。残念ながらご一緒出来なかったのですが、学ばれる毎に、お心穏やかで祝されます様にと思いました。静かな愛の変革がおきているのだなあ…と嬉しい思いでいっぱいになりました。

◆青年と出会いました。歌を気に入って下さったご様子で、聞けば、近年まで悩んで引きこもりがちだったとの事。後で感想をメールして下さるには、証と歌を通し「神様にある癒しこそ、本物であるということを知りました」「存在そのものが神様の栄光となります様にお祈りしています」と書いて下さいました。お若いのに本当にしっかりとしておられ、被災地の今後を担われるであろう年代との出会いに感謝でした。

◆午後 (石巻)宮城復興支援「お茶っこはうす」 鈴木手以先生にお連れ頂き、勉強会をされていた皆さんにご挨拶できました。

◆夜 OM宣教師 (南三陸チーム) の祈り会 に参加させて頂き、魂が癒されました。被災地に重荷を与えられ、継続支援活動のために、海外から、また家族ごと捧げておられるご様子を知り、こういった方々が移り住み、地元に根差して日々活動して下さっているからこそ、細やかな継続支援が出来ている事を思い、心から感謝しました。私達がたまに来て、歌う事が出来るのも皆さんのお陰ですね。










5)10月5日(月)  ◆午前 移動中、神割崎(かみわりざき)という南三陸の名所に立ち寄りました。昔、地域間の争いがあり、土地を(岩を)分けて治めたとの事。時折、大きな波が届く美しい場所でした。
◆昼 スタッフがコミュニケーションを大切にしているラーメン屋さんでお昼。店主に話を聞くと、以前、数千万円の船を持ち、季節毎に漁をし、ダイビングのツアーガイド用の設備も備え、近い将来は、車椅子のままダイビング出来る特別な設備も考えていたそうです。

再び船を持ちたくても重い現実がそれを阻んでいます。近くの仮設から通いつつ、大好きな海が見える店で、訪ねる人に海や津波の事を伝えておられます。南三陸の海は、ほんの少し沖に出るだけで、四季のある素晴らしい漁場だそうです。親潮と黒潮が交わり、イルカも、熱帯魚も来るとの事で、動かずして、北から南から来る様々な魚を見ながら生活をしていたそうです。


◆ご主曰く、3.11の大津波前、いつもは見えない海の底が見えたそうです。「漁師は 海を見て海を判断する。」と仰り、高い堤防が海を見えなくする事の危うさを、大変危惧しておられたのが印象的でした。

◆午後 クィーンズ倶楽部 @HLK仮設住宅 &地域 (南三陸):(参加8人程度)
これは、この秋開院の南三陸病院で婦人科を担当される 中村幸夫医師が、中澤氏チームと組んで仮設住宅を回る健康講座です。思えば、昨年夏、老人福祉施設でコンサートをさせて頂いた際、施設長の中村医師と出会いました。中澤氏と組んで新しいプロジェクトを考えているとのお話に、心躍ったのを覚えています。















◆町に十分な病院がなく、1時間以上かけて外部まで通うしかない状況下、狭い仮設に引きこもりがちな住民を訪問して、健康相談をされます。ここは山中ですが、この裏まで津波が来て家が流されたとのお話を聞き、大変驚きました。
 
他県から医療支援で入られている中村医師の生き方は、本当に頭の下がるものです。詳細は昨年7月のレポートをご覧下さい。南三陸町仮設住宅団地58か所の内、このような小さな仮設を含め、既に30か所回られました。住民の健康生活を真剣に考え、近く寄り添う生き方は、不安でいっぱいの住民にどれ程安心感を与えておられる事かと想像します。

◆今回は、音楽ゲストがあることを知らぬ住民が目をパチクリする中、先生の講義前に、お腹から声を出しましょう…という事で、ご一緒に歌ったり聞いたりして頂きました。中澤氏チームは、企画、開拓、交渉、チラシ配布、声掛け、本番の準備、お茶っこ、片づけまで担当され、地域との関係をとても大切に育てておられるようでした。
  
このようにして、皆様に支えられ、祝された1期が終わりました。(2期報告に続きます)

2015年10月27日火曜日

SFベイエリア・チャリティーコンサート




10月10日から18日にかけてサンフランシュスコのベイエリアにある教会を会場に”東北応援団 LOVE EAST”のためのチャリティーコンサートが開催されました。主催は「AINOTE INTERNATIONAL」という飢餓対策への支援を中心に活動しているNPOです。



昨年秋に代表のFさんとお会いし懇談した中で今回の計画のたたき台ができました。今回は岩渕まこと&由美子のデュエットで伺いました。

2015年9月9日水曜日

9月の釜石は夏だった

 自宅を出発する時0にリセットした車の距離計が1000キロに達して0に戻ったのは、帰りの東北道の白河付近でした。てっきり1000というカウントになると思い込んでいた私は少し拍子抜けをした感じで笑ってしまいました。今回の釜石への旅の総走行距離はおおよそ予想していた通り1196.2キロとなりました。




2015年6月5日金曜日

5月末の釜石支援レポート


釜石線新花巻駅ホームにて

5月29日から31日まで釜石と山田へでかけてきました。今回で打ち合わせも入れると4回目の訪問となります。そんな中で昨年から月2回のペースで持たれているウクレレ会も、みなさんが楽しみに集ってくださっていることを伺っていて、お手伝いをしている私たちも共に喜びをいただいています。

今回訪問では3回のコンサートとウクレレ会でのレッスン&ミニコンサートが予定されていました。1月は夫婦で伺いましたので車でしたが、今回はひとりなので電車での移動にしました。

29日の朝7時半に出発して釜石に着いたのが午後1時46分ですから、自宅から釜石までの所要時間は約6時間というところです。同じ東北でも福島や宮城に比べると2、3倍の移動時間を必要とします。

2015年2月5日木曜日

「今度は孫を連れて遊びにおいで 」釜石と山田の活動報告

雪が降った甲子の仮設住宅


1月29日から31日にかけて、釜石と山田で3回のコンサートと1回の「ウクレレ会」を持つことができました。今回は夫婦で伺ったので交通費節約のためと不足分の機材を積んでの車移動ということにしました。


小川地区サポートセンター入り口


今回のポスターです
前回はポスターとは違う人だった!という評判?が立ったそうです。


遠くに桜木町の仮設住宅が見えます


29日は午後2時半から釜石市内の「小川(こかわ)地区サポートセンター」でのコンサートです。このセンターは桜木町仮設住宅に隣接したデイケア施設です。そのホールをお借りしてのコンサートということで、デイケアにいらっしゃっている方々と、桜木町仮設住宅の皆様やセンターのスタッフの方を合わせて50人ほどの方々が耳を傾けてくださいました。


準備を終えて皆さんを待っている時間です


こちらでのコンサートは去年の10月に続いて2度目です。前回から続けて来てくださった方も沢山いらっしゃって、40分ほどの予定はあっというまに過ぎてしまいました。コンサートの後はみなさんとテーブルを囲んでの「おちゃっこ」でしたが、その中でコンサートの感想や普段の暮らしのことを聴かせてもらうことができました。ちなみにこんな曲を歌いました。

小川地区サポートセンターのセットリスト(他でもこんな感じでした)

1 きく
2 シャボン玉
3 コスモスのように
4 ぺんぺん草
5 まつたけ
6 私の青空
7 生きているから
EN なんでもできる2014

この日の夕食は「いっぽいっぽ」の責任を持っている高橋先生ご夫妻と一緒に、釜石駅に近い仮設店舗商店街「釜石はまゆり飲食店街」にある「コリンズ」でいただきました。


はまゆり商店街では沢山のお店が皆様を待っていますよ


30日は9時過ぎにボランティアセンターを出発して、釜石から車で40分ほど北へ向かった山田にある「いっぽいっぽカフェ」へ向かいました。こちらも昨年に続いて2度目のコンサートです。11時からの予定でしたが10時過ぎに到着した時にはすでに何人かの方々がいらっしゃっていました。

開演前のいっぽいっぽカフェです


早速機材セッティングをしてサウンドチェックを終えましたが、コンサート開始までの待ち時間もいらっしゃっている方々と話がはずみ、コンサートというよりは寄合に近い雰囲気で歌い始めることができました。

「いっぽいっぽカフェ」は火曜日から土曜日までオープンしています。国道沿いにありますので山田へ行かれる時にはぜひ立ち寄ってください。

チャーシュー美味しかった


お昼は「いっぽいっぽカフェ」に近い「藤七屋」さんというラーメン屋さんでご馳走になりました。昔懐かしいような感じの、ラーメンの原点的なラーメンで、とても美味しくいただきました。

午後は夕方まで時間があったので、釜石や山田は初めての妻のために大槌の旧庁舎を回ってみることにしました。久しぶりに行ってみると町全体が工事現場状態になっていて、庁舎も取り壊しをしているようでした。工事カ所が変わると道路も迂回しなければならず、相当カーナビ泣かせでした。

いっぽいっぽカフェの周囲もほぼ工事中です


釜石と山田を往復して目についたのは至る所が工事中ということです。そのほとんどが盛土の工事のようでした。元々の地面が盛り土で見えなくなっていくのを寂しく感じる人も少なくないのではないでしょうか。また周囲が工事だらけというのも精神的に参ってしまうのではないかなと感じました。今回の訪問中に何度か聴いたことばは「音楽はいいね、本当に心が癒されるから」ということばでした。それだけ被災地の環境は殺伐としています。これだけ復興工事が進んでいるのに、地域に明るい感じがしないのは辛いですね。

さて夕方からの「ウクレレ会」は釜石の「いっぽいっぽボランティアセンター」で開かれました。

私が持参した3本
白いのはプレイズウクレレです


山田を出発する頃から雪がちらつき始め、夕方が近づくにつれて本降りになってきました。さあこの雪の中みなさん無事に来てくださるだろうかという心配が頭をもたげましたが、いつもの「ウクレレ会」のメンバーがほぼ揃い、にぎやかにウクレレ会が始まりました。

ウクレレ会はこのボランティアセンターで月2回開催されています


まずはひとりひとりの演奏を聴かせてもらって、私がワンポイントアドバイスをしました。ウクレレを持ってから1ヶ月とちょっとという方がしっかりコードを弾いていたり、ウクレレでは難しいアルペジオに挑戦している方があったり、良い雰囲気の「ウクレレ会」です。

ワンポイントアドバイスのあとは私たちのミニコンサートです。30分ほど歌ってのアンコールはウクレレソロでの「イエスタデイ」と「なんでもできる2014」歌いました。ところが「なんでもできる2014」を歌い始めたら突然涙が込み上げてきました。それは遠くハワイから釜石のためにウクレレを届けてくださった、そしてこの曲の作者であるコアロハのアルビンさんの被災地への思いが迫ってきたからです。この曲に込められた思いは「いつか語り合いたいよね、人生は素晴らしいと・・・」です。いつか心からそう言える日がくるように、ウクレレを友達にして、私も一緒に歩かせてもらいたいと願っています。

コアロハ軍団だ!


「ウクレレ会」が終わってから、ある方が被災された時のことを話してくれました。その方は家ごと流されてしまし、水の中で1度は死を覚悟したとのことでした。息を止めていられる限界が近づき「もうだめだ、息を吐いてしまいそうだ」と思った時に、上の方が明るくなり水面が近くなったことがわかったそうです。さらに流木か何かに押し上げられるような感じになり、水面に顔を出せたとのことでした。もしあの時に水中で息を吐いていたら助からなかったとおっしゃっていました。今はその時のことを思い出さないように気持ちをコントロールしながら暮らしているとのことです。

この方のお話を聞いて知ったのは、ごくごく普通に暮らしていらっしゃるように見えても、震災の過酷なトラウマと闘いながら暮らしていらっしゃるんだということです。この方にとって「ウクレレ会」はしばしそんな記憶を忘れさせてくれる時間になっているようです。

「ウクレレ会」は2週間に1度いっぽいっぽの高橋先生のリードで開催されています。どなたでも歓迎ですので気楽におでかけください。

甲子に到着です


最終日は午前中に甲子の仮設住宅へ伺いました。この仮設は釜石市の奥まった山が迫った所にあり、前日からの雪も市内の3倍くらいは積もっているようでした。海沿いで暮らしていらしゃった方々が多いので生活に慣れるまでは時間がかかったのではないでしょうか。

雪かきが大変です


この日は雪が積もっていることもあり数名の方の集まりになりました。ほとんどが漁師をなさっていた方なので、自然に当時の話に花が咲いて気がつけばあっという間に1時間が過ぎていました。その後僕たちは30分程歌いましたが、コンサートの終わりには踊り出す人まで登場して、まあそれはそれは楽しい時間となりました。

お昼になり、みなさんとのお別れの時間になりました。「今度は孫を連れて遊びにおいでね」なんてまるで自分の故郷に来たようなことばをもらいながら、私たちは車に乗り込みました。釜石へ私は年に4回伺う予定です。また夫婦で来て欲しいという声も多く、2回は夫婦で来れたら良いなと考えています。

一昨年に始まった新しいプロジェクトである「音楽の種まき」もやっと「ウクレレ会」として動き出しました。これからも皆様のご支援をよろしくお願いします。