2016年2月7日日曜日

◆2015年【10月2期】心の交流コンサート レポート◆  by萩原ゆたか
大変遅くなりましたがご報告させて頂きます。今期も、南三陸地域支援ネット「架け橋」中澤竜生先生にコーディネートして頂きました。今回もまた、様々なご支援、お祈りに支えられて全てのご奉仕を終える事が出来ました事、皆様に心から感謝申し上げます。 地元で継続支援されている皆様のご様子も含め、ご紹介させて頂きます。

<行 程> 10/14~18

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      14() (南三陸)仮設訪問、チラシ配布、

 個人訪問、情報交換、お礼訪問、等

      15() (登米)  YY仮設住宅

16() (石巻)  NSP仮設

                                        17() (気仙沼) KK仮設住宅

                                        18() (登米)  錦織バプテスト教会

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1期目に車の問題が起こり、現地スタッフの皆様には大変ご苦労をおかけした事もあり、今回後半は、車持ち込みで伺いました。メンバー:萩原ゆたか/万年崇子/萩原正典


<それぞれの様子> 


1)10月14日(水):石巻・南三陸にて: 当初、仮設住宅でコンサートが企画されていましたが、地元の選挙関連で集会室が使えなくなりましたので、中澤氏に同行し、被災地・住民訪問(挨拶と情報交換、昨年チャリティーのお礼)や、仮設訪問(ラシ・ポスター配布と声掛け)等で、現地の様子・生の声に触れる事が出来、有意義な時となりました。以下詳細です。


 
1◆石巻の 大川小学校跡 を訪ねる。

そこは、広大な北上川の下流域にあっても、海から蔭になるために津波が見え辛く、また過去に津波が来なかった事からか、逃げ遅れた小学生が沢山おられた悲しみの場所です。
 
(写真:普段は穏やかな 北上川 )


左の建物の2階から右の建物までは、渡り廊下で繋がっていたそうですが、左方が落ちたままです。コンクリート塊が奥に向かって捩じれ、津波の威力の大きさ恐ろしさを伝えています。



2◆悲しみを背負っておられるであろう方々に思いを馳せながら、対岸にある NSP仮設を訪れて2日後のコンサートの下見をし、集会室の和室にいたお母さん達にご挨拶、チラシ配布です。早く配ると忘れちゃうのだそうです。今回解ったのは、一つのイベントのために、毎回繰り返されるであろう、時間のかかる準備の様子でした。
例えば、ポスターデザインがなされます。それを、2時間かけて集会室へポスターを貼りに行き、一週間程して更にチラシ配り、そして、直前に声掛けをします。イベントを成功させるためには、何度も来場しての、かなりの手間暇がかけられています。しかも、ご自宅から2時間前後かかる場所での活動が殆どなのです。イベントも複数掛け持ちです。

引き籠りによる孤独死も心配される被災地で 個々の必要を知るためには、部屋から出て交流に繋がって頂きたいと、熱い思いで地道な努力が注がれ続けている事を確認し、頭の下がる思いでした。

3◆その後、南三陸に移動。幾つかの仮設にて、クイーンズ倶楽部(健康講話)のチラシ配布。病院が流されて、隣町まで医者に通わなくてはならなかった町民待望の、新しい南三陸病院が201512月に開院予定のため、婦人科の中村医師による 仮設訪問講座が企画され、南三陸チームとタッグを組んで、毎週のように進められていました。

中村師と中澤氏との協力関係は、図らずも2014年に老人福祉施設で歌わせて頂いた時がきっかけだそうです。神様のご計画が繋がっている事をしみじみ覚え感謝でした。
4◆O地域の隣組長を初訪問。地域内にある仮設団地集会室での、クイーンズ倶楽部 開催の趣旨案内とご挨拶をしつつ、地域(仮設団地の周囲)住人へのチラシ配布を依頼しました。結果、回覧板に入れて下さる事となり感謝でした。

このように、仮設団地内に限定されたイベントも、町立病院の案内も兼ねる健康イベントであるならば、立場の違う(家のある)仮設周辺住民の皆様も一緒に交流できる機会が提供されます。これは、貴重な機会であることを思いました。

5◆中澤氏チームの純粋な支援活動をよく理解してご協力下さる 地元の方々にお会いする中、教えて頂いた事があります。地元ならではの微妙な力関係や歴史、複雑な事情が絡み合っている場合があるので、継続支援する中では、それに影響されない関係を育くむための、知恵と祈りが必要であるとの事、大変勉強になりました。

6◆次に、仮設商店街で働くNさんと会いました。彼女は、一般ボランティアとしてこの地に入り、地元の方と結婚する事となり、ボランティア仲間の中澤氏が司式をされたそうです。まだ多くの方が悲しみに暮れる時期の結婚に対する賛否両論に翻弄され、辛い所を通りましたが、避難所の皆さんに祝ってもらえたという、特別な結婚式だったそうです。


 こういった、信頼で結ばれた太いパイプを更に育てながら、行政や地元の力では解決できない部分の必要にも到達されている事を知りました。

 7◆次は、2014年に東京で開かれた、ラブイースト様主催の「クリスマスチャリティー&コンサート」において、地元の声として取材に応じて下さった、童子下地区のお二人にお会いする事が出来ました。お二人は以前の訪問がご縁で、お写真やコメントでご協力をお願いし、快諾して下さった事で、被災地の情報が入り辛い東京の方々に、臨場感ある様子をお伝えする事が出来たのでした。

その後も、寒くて狭い仮設住まいを余儀なくされながらも、地区の皆様と励まし合いつつお仕事されているご様子に励まされます。そして、津波を乗り越えたという、貴重な球根を頂き、家に持って帰りました。見るたびに、津波に耐えた球根の強さと、耐えておられる皆様の強さを重ねながら、花が咲くのを楽しみにしています。
 
 
 
 
2)10/15 木 (南三陸)へ
午前 は、宇都宮から駆けつけた万年さんが合流し、志津川中学校で、台湾からの被災地支援ツアーの皆さんと合流して機材の受け渡しをしました。10日の被災地訪問だそうです。海外からも心寄せて下さっている事に感謝でした。


◆午後 (登米) YY仮設住宅 コンサート&お茶っこ:
ライフワークサポート響(ひびき)の阿部氏が継続支援されている仮設団地で、コンサートとお茶っこです。どういう訳か、皆さんなかなか集会室に入って来られません。どうも、住人同士の微妙な約束事があるようで、一人の方が遅れているので、全員そろってから談話室に入ろうとされているご様子でした。やっと集まりましたが、小さい所では交流も大事にしているので短かめのコンサートとなりました。
若い自治会長さんが、年齢の高い24世帯の方々をケアしておられました。こちらは、南三陸関連で最後に出来た仮設ですが、大手住宅メーカーが手掛けた良質の建物で、復興住宅として分譲する事になるそうです。他の仮設の方々が、寒い、壁が薄い、隙間風が…と言われる中、割合恵まれている方だとの事でした。
 
ここは登米市にある仮設。童子下のSさんが写真を撮りに来て下さり、お陰で、お姉さま方と話が深まりました。町中から離れているせいか、良い情報交換になったようでした。
 
 
 
笑顔の皆様も、よく聞けば、親戚11人流されて その内5人が行方不明の方。
親戚5人流された方等、悲惨な状況を耐えてこられた方々です。
◆無口で伏目がちな奥さんは、最後に一言「ご主人が流された」と言われました。「自分は、仕事場から高台に逃げて助かった。ご主人はきっと、家で奥さんを待っていたかもしれない」と、ご自分を責めておられるようにも見えました。
 
仮設前の狭い路地を耕し、元気な野菜を作って友人や仮設の皆さんにお分けして喜ばれているそうです。万年さんと話す声が聞こえました。「野菜あげて、人に喜ばれて、良い事してますね。」「そうかな、こんなでも大丈夫かな。」と自分の存在意義を確かめているかの様な言葉でした。
 
今となっては確認するすべもない、震災時の家族の気持ち。答えが出せぬまま、混沌とした気持ちで生き続ける人。ちょっとした励ましや、後押しがあれば、自信を持ったり 前に進める方々が、こんな形でいらっしゃるのかも知れないと感じました。
 ◆帰り際、会長さんから、手押し車4台を工面して欲しいと依頼されたそうです。中には、2-3万円という極少ない年金だけで、食べるのも大変な方達がいらっしゃるとの事。生きる為に必要な、具体的な支援を、気軽に申し出て頂ける関係作り…それが本当の支援に繋がっている事を感じました。
 
 
3)10/16 金  早朝、北関東から機材や楽器を運んできた萩原正典氏と、仙台で合流しました。この後は、現地チームの方々に、機材や楽器、荷物運びや、送迎のご迷惑をかけずにすみ、ほっとします。
◆午前 お茶っこ用の茶菓を購入後、石巻へ移動。海を見下ろす、日和山に登りました。3000軒を超える人家が立ち並んでいた市街地が、津波と火災に焼き尽くされたそうです。4年前は、壊れかかった家々や無残に倒れた墓石の間を通りましたが、今は、ごく一部の工場以外何もありません。今後は何も建てられず、祈念公園となるそうです。
 
◆午後 (石巻)NSP仮設住宅:先日チラシ配りで訪れた場所に戻ってきました。ここは、ライフワークサポート響の阿部さんが、一軒一軒回ってケアしておられる仮設団地です。

さて、こちらも皆さんなかなか集まりません。聞くと、金曜は惣菜屋、焼鳥屋さんが来る日。一人暮らしも多いので、美味しいお惣菜を買ってから集まるとの事。
 
そのうち、焼鳥屋の流す、細川たかしさんの演歌が大きく響いてきました。相手が細川さんでは太刀打ち出来ませんが、それでも歌い始めていると、買い物が終わった方からご参加下さいました。自由に買い物に行けない状況下での、食の確保は重要です。場所によって、事情ってものがある訳ですね。
 
 
 
 
始まると、一緒に歌うのがとても楽しそうでほっとしました。
コンサート後は、ケーキと野菜ジュースを両手に、皆さんのお話を伺いました。伺うと、93歳やら、88歳やら。いつも和室に集まっている6人程の方を中心に、若目の50代迄。
 
 
 


 ◆帰り際、いつものように和室に集まっていた一人の方が、重い足を引きずりながら、わざわざ外に出て見送って下さいました。その時、そっと言われた言葉が、とても印象的でした。

「折角ここで仲良くなった私達、それぞれがバラバラの復興住宅に入ったら、気軽に集まるところが無くて辛い」…と胸の内を語って下さいました。「すぐ近くに見える団地に移っても、手押し車ではもう集まれない。集まれる場所も無くなる。今の方が良い」…と、年齢を重ねた末の、将来を憂いて

ぽつんと教えて下さいました。
 

新しい住宅に入っても、また一から人間関係を始めなくてはなりません。新しい環境に慣れるために、また、どれだけ時間がかかるでしょうか。でも遠くには歩けません。心の叫びなのだと感じました。

 そして、「また来れるようにしてよ」…と念を押して手を握られ、何時までも手を振って下さいました。切ない気持ちで、お母さんの笑顔に見送られました。
 ◆コンサート中、部屋の壁を背に、目を閉じて鑑賞していたお父さんがいらしたそうです。中に入るのが照れ臭かったのでしょうか。感謝します。帰り際、今度は3人で大川小学校に立ち寄りました。
4)10/17 土:は、更に北上して、気仙沼に移動です。


気仙沼は初訪問です。流されてしまった海側は荒涼としており、以前は殆どなかったという、都会並みのビルの復興団地や コンクリートの公営住宅が建設ラッシュです。


先ずは、気仙沼第一聖書バプテスト教会に立寄りました。流れてしまった十字架をどなたかが教会の敷地に戻して下さり、新しい場所に移って復興支援の拠点になった事を伺いました。

その後、昼食を頂きながら、ライフワークサポート響 の阿部氏と合流し、活動についてお聞きしました。


◆実は、中澤先生チームは、最近、阿部氏が 長年一人で支援を続けてこられたコミュニティーに、共同支援に入るようになられたそうです。支援活動対象が広範囲で多数のため、支援者同士が連携して、情報を提供・共有し合う事で、より細やかで多角的な支援を届けられるそうです。被災者ばかりでなく、地元支援者達が、孤立せずに励まし合い知恵を出し 合う事は、まだまだ長期戦の支援を続ける上で、重要な事だそうです。


復興庁によると、仮設住宅団地の数は、南三陸町で 58団地、気仙沼 87(※参考、石巻 131)との事。新しい復興団地が出来始め、移住の途上で統廃合が進む時期ではありますが、まだまだ広範囲に、多くの被災者がいらっしゃる中、前向きで 知恵を絞った協力体制を工夫しておられる事は、希望に繋がりありがたい事であると思いました。


◆午後 (気仙沼) KK 仮設住宅 

準備中、ここまで3時間もかけて案内して下さった中澤氏は、さっきついたばかりなのに、急用の為、仙台へ戻られました。本当にお疲れ様です。
 

お世話役の阿部さん司会の元、時に頷いたり、目頭を押さえて、一生懸命聞いて下さいました。コンサート後、今度は皆さんのお話も伺いたいと思いましたが、人数が多かった事もあり、さほど伺えず残念に思っていました。
すると、何かお返しをしたい…と、お茶の先生が戻ってこられ、無花果のお菓子と共に、それは美味しいお抹茶をふるまって下さいました。

 

 
 そうしている内に、仮設イベントでは珍しい、自治会の頼もしい男性役員の皆様が戻ってこられ、プチ2次会を始められました。そこで、改めてゆっくりと、色々な話をお聞きする事が出来たのでした。
お話によると、ここは気仙沼で一番早く出来た仮設団地。当初、日本は元より、世界中から支援イベントが入り、最も多い時には一カ月に45ものイベントをこなしていたとの事。ところが、4年半経った今、月に2-3件しかないそうです。しかし、まだ、盛土が落ち着いて新居に入れるまで、3-4年も仮設暮らしが続く方もおられます。誰しも取り残されていく感は否めない事でしょう。
 
そんな折、私達が伺ったことを大変喜んで下さり「忘年会にもきてほしいなあ」…というお声を頂きました。とても嬉しい思いに感謝しました。これから環境が変わって行くお一人お一人に沢山の祝福がありますよう祈りつつ別れたのでした。
 
 


5)10/18 日 午前 (登米) 日本バプテスト同盟 錦織バプテスト教会 
ツアー最後の朝は、高台の歴史ある教会で歌わせて頂きました。
 
気さくにおもてなし下さった 天野先生ご夫妻に伺ったところ、こちらは保育園を併設されており、地域には卒園生が多数いて、地元から「教会さん」と呼ばれて大事にされているそうです。このような形もまた「地域に根差す」一つの形である事を感じました。
 
 
都会だったら人気スポットになりそうなレトロな木造建築は、どこを見ても懐かしくて絵になります。お近くに行かれた際に、寄ってみてはいかがでしょうか。自然に囲まれたサンルームでお茶を頂き、暖かい時間を過ごさせて頂きました。
 
 
 
 
◆そして、午後 (登米)イエス福音教団 宮城教会 にて、バーベキューのおもてなしを頂きました。こちらは、昨年夏に伺った田んぼの中の気持ちの良い教会です。初日にお会いした台湾チームが寝泊まりしておられ、来年も続けて訪れたいとの事でした。海外からも継続的な支援の気持ちを注いで下さるお姿に感謝しました。
 
おもてなしを受けながら、以前、中澤先生からお聞きした言葉を思い出しました。
被災地、及び、近隣の教会は、支援活動に心がありながらも、様々な事情により、全てが積極的に被災地に「出かけて」行けるわけではない。しかし、この地域チームは、共に協力し合い、後方支援でそれぞれが担って下さるチームワークがあり感謝 との事でした。
私達も台湾チームも、その後方支援を受けさせて頂き「支援者をもてなす」という役割を担って頂いていたのではないかと感じ、その暖かさと、美味しさにお腹いっぱいになり、旅の最後にほっとする事が出来ました。

 
<まとめとして>
1◆2期は、一週間弱の長いツアーとなりました。歌うだけでなく、その前後、沢山の方とお会いし、状況を学ばせて頂けた事は、貴重な経験となり、被災地の皆さんのお気持ちや必要に対する理解が、少し深まったような気がしました。
2◆被災から5年目となる、20163月は、丁度、復興住宅へ移住される方も多く、一つの区切りとなる時期との事。復興住宅で孤立してしまった方も、仮設時代の関係がきっかけになって良い方向に向かう事があるそうです。
支援から共働へと少しずつシフトする中で、残る仮設住宅を回っての関係作りと、その後に続く、新しい団地での関係継続につなげられたら…と、色々な方と協力関係を持って、将来に向けた準備をされているご様子が印象的でした。

3◆今回も、東北応援団ラブイースト様(一部、東北ヘルプ様)より、必要経費の一部をご支援頂きました事を、心から感謝申し上げます。先の長い復興の過程を歩まれる皆さんを、日本中で憶え続ける事ができたら幸いに思います。お祈り、応援をありがとうございました。

感謝をこめて♪萩原ゆたか♪