2016年8月6日土曜日

釜石活動報告



これまで釜石から山田にかけての支援活動の受け入れをしてくださっていた高橋和義牧師が、春から「いっぽいっぽ」を離れ、社会福祉協議会での支援活動を始められたことに伴い、今回は「いっぽいっぽ」の招きではなく、社会福祉協議会を通してのボランティアとして伺ってきました。もちろん高橋牧師が現地でのアレンジの責任を持ってくださっているので、私の活動内容に大きな変化はありませんでした。加えて今回はカリタスさんの支援もいただき、さらに力強い活動ができたように思います。



現在は5階から6階建てくらいのマンション形式で復興住宅が建て上がってきており、仮設住宅や、みなし仮説住宅から復興住宅へ転居された方々の新しいコミュニティー作りが急務となっています。今回は復興住宅3か所でのミニコンサートと語らいの時が持たれました。集いの目的は、これをきっかけにして交流が生まれ、コミュニティーが形作られていくようにという願いからです。




集いは他己紹介という変わった自己紹介からのスタートでした。それは自分で自分を紹介するのではなく、隣の人同士がカップルになって、相手のことをみなさんに紹介するというものです。事前にどんなことを聞いて欲しいかという質問例題が配られました。名前や以前住んでいたところ、どこの仮設住宅から引っ越してきたかなどはもちろんですが、「もし100万円が降ってきたらどうしますか?」などという楽しい質問もありました。

同じ復興住宅に住んでいても、生活を始めて長いところでも3か月程度ですので、顔見知りというほどではない方もいらっしゃるので、最初は照れくさいようでしたが、次第に場が和んでいき、いろいろな話に花が咲きました。





コンサートでは一緒に歌える歌も用意していきましたので、何曲か一緒に歌ったのですが、「5年ぶりに歌を歌いました」という方がそれぞれの会場におられました。特にみなし仮設住宅(一般のアパートなどを仮設住宅として使用すること)に避難をされていた方々は、普通の住宅と変わりがないので、外部からの援助の手があまり届かないまま5年を過ごされていたようです。「5年ぶりに歌を歌いました」という言葉に「良かった」という思いはしましたが、正直心が痛みました。

復興住宅でのコンサートの他には、恒例のウクレレ会への参加です。


もうウクレレを教える、教えられるという関係ではなく、友人との集いといったようなフランクであたたかな時間でした。現在も定期的に毎月2回開かれていますが、その度にワンコインの会費を集めてくださっていて、私の交通費の足しにとくださるのです。今回は半年ぶりということもあり2万円を超える金額を渡していただきました。これはそのまま「東北応援団 LOVE EAST」の方に納めさせていただきます。また前回の釜石に行くために作った「ありがと音頭」や、ウクレレ会のために最高のウクレレを提供してくださったコアロハのアルビンさん作の「なんでもできる」などを会員の皆さんがあちらこちらで歌ってくださっていると聞きました。ウクレレ会が新たな音楽の発信基地のようになり始めているのは嬉しい驚きでした。

日曜日の午前はカリタスさんが開催されているカフェ「ふぃりあ」で、主にカリタスのボランティアの方々へ向けてのコンサートとなりました。



ボランティアの方のほとんどは年に何回か訪れていらっしゃるそうです。そしてみなさんが関東の方でした。復興住宅のコンサートではカリタスのボランティアの方々が会場のセッティングや茶菓の用意などをテキパキとしてくださり、そのおかげもあってとても良い雰囲気で歌うことができました。

次回の訪問はまだ決まっていませんが、これまで通り年に何回かは訪問できればと願っています。今回も「東北応援団 LOVE EAST」をご支援くださっているみなさまのお力で釜石へ出向くことができました。これからも続けてよろしくお願いします。        

                                        岩渕まこと




2016年6月10日金曜日

熊本復興支援コンサート報告

6月3日(金)から6日(月)の4日間、岩渕まことが被災された皆様への支援コンサートへ行かせていただきました。以前、東北応援団 LOVE EAST(以後LE)のミーティングの中で「今は東北への支援をさせていただいているが、他の地域への支援が必要とされる時が来るかもしれない、さらに関東が被災すれば私たちが支援していただく側になることもあり得る」ということが話されました。今回の熊本と大分の地震ではまさにこのことがが現実になってしまいました。

まず最初に熊本での支援活動に至る経過をお伝えします。東日本大震災のあった2011年の12月に熊本ハーベストチャーチ(中村陽志牧師)でLEのためのチャリティーコンサートが開催され、たくさんの支援金をお預かりしました。今回発災直後に中村牧師に連絡を取ったとろこ支援の要請があり、急遽LEの責任者で話し合いを持ち以前ハーベストチャーチより支援金としてお預かりした額に同額をプラスした支援金を送らせていただきました。さらに5月中旬に中村牧師から支援コンサートの依頼があり今回の活動に至りました。

2016年4月24日日曜日

≪2016年3月東北支援賛美(うた)の旅 報告≫

≪2016年3月東北支援賛美(うた)の旅 報告≫
おしゃべり賛美歌・菅原早樹

2016年3月24日から26日まで、短期でしたが、ホープみやぎさんを通して、宮城県下の仮設住宅や家の教会を訪問し、コンサート活動をさせていただきました。

ホープみやぎさんは、2013年の春にも一度訪問させていただき、多くの仮設集会所でコンサートをさせていただきました。
その時「また来て下さい、って言っていいのかな?」と控えめに、はにかみながら言って下さった方に「もちろんです!必ずまた来ます」とお約束したのに、なかなか伺う機会を作れなかった事がずっと心にかかっていました。
ホープみやぎでボランティアスタッフをしている寛美さんから、震災から5年を迎えてボランティアのあり方も変わりつつあること、経済的な事も含めて彼女の働きも、この春で終わるかもしれない、との話を聞き、「今、行かなくては」と言う思いが与えられ、この春に計画をさせていただきました。
とはいえ、今年に入ってからの急な計画でしたので、あまり日程が取れず、不十分な働きしかできなかった事が心にかかっています。
これは、きっとまた行く機会を作るように、神様が心残りを与えて下さったのだろうと思っています。

3月23日、関西から、新幹線で移動。今回は、震災後の東北をまだ見た事のない娘(この春から中学3年生)を同行しての旅でした。
仙台駅は3年前とは見違えるようにきれいになっていて、帰りにゆっくり買い物をしよう、と思っていたのですが、帰りは時間がなくなってしまい、ゆっくり見られなかった事が残念でした。
宮城の窓口である仙台駅がこのようにきれいに整えられた事は、東北にとって明るい話題なのだろうと感じながら多賀城へ向かいました。
多賀城へはスタッフの寛美さんが迎えに来て下さり、途中コンビニで食料を調達し、ホープハウスへ。
懐かしい思いと共に、旅の疲れをいやすひと時に感謝致しました。

ボランティアセンター・ホープハウス。
3.11の震災の後に建てられ、物資の倉庫や、ボランティアの宿泊に用いられています。
◆3月24日は亘理の公共ゾーンでのコンサートでした。
実は、東北でのコンサートは、何度やっても毎回始まるまで、とても緊張します。
現地の皆さんお一人お一人の現状が十分にわからない中で、何を話せばいいのか、支援の賛美(うた)の旅1日目は特に緊張感があります。
始まってしまうと結局は、ほぼいつも通りに話し、歌ってしまうのですが、始まる前は、ついあれこれ考えてしまうのです。
よく考えたら、お一人お一人の状況が違うのは、どこでも同じなのですが、やはりあの大震災の被害に遭われた皆さんを前にする事に何度伺っても慣れるという事はありません。

ドキドキして始まった1日でしたが、とにかく心をこめて歌おう、と改めて思った朝でした。
 
さて、亘理の公共ゾーンでの集会です。
もしかしたらこの集会所では今回が最後の集いになるかもしれないという事で、豚汁が用意され、皆さんとのお食事の時間を過ごした後、コンサートタイムをもたせていただきました。
 
 
具だくさんで温かな豚汁と雑穀米、お漬物と、シンプルでしたが、とても美味しく、皆さんと楽しい交流のひと時を過ごさせていただきました。
中学生の娘を温かく迎えて下さり、若いボランティアを喜んで下さっていました。
お食事のあとはコンサートタイム。

ずっとこの亘理地区で、御奉仕下さっている向後さんの御挨拶のあと、コンサート。
皆さんと一緒に歌う時間もたっぷり取り、皆さんも元気に歌って下さいました。
実はこの日、スタッフのみなさんも想像していなかったほどたくさんの方が来て下さいました。
お食事のために準備した器が足りなくなったほどだったのです。
 その様子を見た私は、とても嬉しいと思う一方で、まだまだ皆さんの心に乾きがあるのを感じました。
多くの皆さんはすでに仮設住宅を出られて復興住宅や新しいおうちに引っ越しをされた方々でした。
しかし、外に出る機会が少なく、また他の人と交流する機会も少ないとのこと。
「こういう催しがあるのならもっと早く知りたかった」とおっしゃっていた方(初めて参加された方)もおられたそうです。
その中で、こうした集会を持てる場も様変わりしつつあります。
この集会所は結局6月までは使えるそうですが、それ以降はどうなるかわかりません。
市臨時職員として働いてこられたボランティアスタッフさんも、この集会所に限らず、この3月末まで、という方がとても多いそうです。

前回お会いして一緒に写真を撮らせて頂いた方はひと目見てわかりましたから、「お約束どおり来ました」と声を掛けさせて頂きました。
また、前回も手作りのプレゼントを用意して下さっていた方は今回もプレゼントを持ってきて下さり、「覚えていましたよ」と言って下さり、嬉しかったです。
仮設住宅を出られてばらばらになっていかれても、ホープみやぎのボランティアスタッフさんは市のボランティアスタッフさんともよく連携されて、フォロー続けてこられ、このような場がもたれていることを心から感謝しました。
これからますます、皆さんがばらばらになっていく中で、このような催しは人々を結びつける貴重な役割を担っていく事を感じました。
最後まで残って下さった皆さんやボランティアスタッフのみなさん、また、駆けつけて下さった塩釜聖書バプテスト教会の大友幸証先生と。
 
この日は、1ヶ所だけの御奉仕で、スタッフのみなさんも色々と仕事を抱えておられるので、この日はあまり出歩かずに、夕食も、お買い物をしてホープハウスで食べ、翌日に備えさせて頂きました。
翌日は、この日よりさらに時間の制約があること、また色々な御要望もあり、プログラムを考え直す必要があったのですが、この時間に、十分祈り、翌日に備える事が出来ました。
3月25日は若林区でのコンサートでした。
午前中はニッペリア仮設での集会でした。
ここは、サッカーのグラウンドがある場所ですが、震災以降仮設住宅が建てられていました。
集会所は仮設ではなく、そちらの施設のクラブハウスを使わせていただいいたそうです。
こちらは、大友さんご夫妻が震災以降毎月、集会を続けてこられた場所で、聖書や神様のお話もさせていただける集会でした。
大友さんご夫妻も津波で被災され、大変な中にあって、信仰によって立ち上がり、多くの人のケアをしてこられました。
こちらでの集会は、今回で最後とのことで、名残のコンサートになりました。

最初に音楽に合わせて軽い体操。
そのあとコンサートタイム。
この後、塩釜聖書バプテスト教会の大友幸一先生がショートメッセージをして下さり、軽食がふるまわれ、皆さんとの交流の時を持たせていただきました。

 やはり、ここも、かなりの方が仮設を出られたそうですが、一方で、「復興住宅がまだできないので待っているんだ」という方もいらっしゃいました。
皆さん、明るいのですが、復興は「まだまだ」という思いを持っておられるようにも感じました。

こちらでの集会は今回で終わりですが、午後に集会がもたれた大友さんご夫妻の家の教会で、今後もコンサートなどのイベントを行っていかれるそうで、是非、この中からそちらに参加下さる方が起こされますようにと祈りました。

午後は、ハートフル港南という、大友さんご夫妻の家の教会での集会。
御自身も津波で家の1階部分が全部流されてしまった御夫妻が、2年前に引っ越しされたお宅。
1階は集会ができるようにたっぷりスペースがとってありました。
こちらでは御近所の方をお誘いしてのコンサートで、今年になってから初めてのコンサートだったそうです。

こちらは、定期的にカフェタイムが開かれるなど、地域に根差した伝道活動を展開しておられます。
ピアノの上には、クラフト教室で作られたロールちゃん(トイレットペーパーカバー)が飾られていました。

こちらに集われた御近所の方々は、津波などの被災者ではありませんが、同じ震災を通り超えてこられた方々であり、共に復興の過程におられる皆さんでした。
また、ニッペリアの集会にも出席されていた方で、震災以降信仰をもたれた方も出席して下さり、私自身もとても励ましを受けた集会でした。

この日は、小学生のお友達もボランティアに加わって下さっていました。
最近バプテスマを受けられた方で、ボランティア活動をしておられる方々の後姿を見て、「自分もあんな風になりたい」というところから信仰を持ち、ボランティアに志願されたとのことでした。
こんなふうに、ボランティアの働きが実を結んでいることを見させていただけたのも、大きな恵みでした。

この日は、早くも宮城で最後の夜になるという事で、ボランティアスタッフの寛美さんと、協力宣教師のロバートさんご家族と共に交わりの時を持たせていただきました。
ロバート宣教師ご夫妻は震災後、宮城に来られ、支援の働き、また教会の働きを続けておられます。
3年前にもお会いしましたが、奥様はその後 日本で2人のお子さんを出産され、変わらずに東北を愛し、仕えて下さっていることを感謝します。

◆3月26日は、午前中からお昼にかけて、教会のキッズプログラムがあり、コンサートができないので、プログラムのお手伝いをさせていただきました。

教会学校の子供さんたちや、英会話に来ておられる子供さんたち、またその親御さんを含めて、50名以上で集まって地域の体育館でチーム対抗のゲーム大会(玉入れ、二人三脚、綱引きなど本格的!)。
お昼ごはんは教会での手作りハンバーガー。
最後は教会でもう少しゲームをして、午前中のゲーム大会の結果発表。
楽しいひと時を皆さんと過ごさせていただけた事を感謝致します。
体が動かないわたしでもお手伝いできることがあるかしら、と心配していましたが、結構、お手伝いする事がたくさんあって、嬉しかったです。
キッズイベント終了後、少し休憩をとってから、七ヶ浜見学と、訪問に連れて行っていただきました。
この日の七ガ浜は、とても穏やかで美しく、ここから津波が襲ってきたことなど微塵も感じられませんでした。
しかしこの松林は震災前はもっとたくさん生い茂っていたとのこと。
またこの松林の向こうには、津波で流されてしまった平地が広がっていました。

そのあと、仮設を出て復興住宅に引っ越された2軒のお宅を訪問しました。
1軒目は建築関係のお仕事をしておられたという男性の方。集合住宅でのお住まいでした。
3年前に七ヶ浜の仮設でお会いしたと思うのですが、ご本人もたくさんのボランティアさんが来られた中で覚えてはおられませんでしたし、わたしもはっきりと「この方」という記憶はありませんでしたが、今回、たくさん個人的にお話しをお伺いする事が出来ました。
津波で一切を無くされた中でも、お家のあったところに出掛けて行っていくつかのものは見つける事が出来たとのこと。
また、以前お仕事しておられる姿をプロのカメラマンの方が撮って下さった写真が、巡り巡って見つかり、手元に戻ってきた、というのも見せて頂きました。
御病気もされて、色々と困難のあられるなかで、閉じこもっていても仕方がないと、前向きに生きておられる姿が印象的でした。

もう1軒はやはり七ヶ浜の仮設住宅で、集会のお世話をして下さっていたというご夫妻。戸建て住宅でのお住まいで、御主人はお留守でしたが、奥様が待っていてもてなして下さいました。
わたしたちが励まそうと思ってお伺いしているのに、地元の畑で採れた菜の花のおひたしや、煮物など、色々な心づくしを用意して待ち構えていて下さったのです。
短い時間でしたが、やはり、こちらの方も、とても前向きに、そして、周りの方々をも励ましたいとの思いを持って歩んでおられることに、感動しました。
2軒目に訪問したお宅の前で


◆今回は日程が短く、少ししかコンサートができなかった事が本当に残念でした。
一方で、訪問にも同行でき、コンサートだけではない御奉仕もさせていただけた事を感謝しています。
復興が進む中で、ますます多様化するニーズにこたえるため、ボランティアスタッフさんの尊いお働きが続けられていることを心から感謝致します。

津波が来たところに立っている復興住宅に住まわなければならない不安。
せっかくの美しい景観を損なう大きな防波堤。
「それよりも、もっとこうしてほしい、ああしてほしい」という地元の人々の願いや意見は置き去りにされているようです。
また、すでに仮設を出ておられる皆さんも、復興住宅の完成を持っておられる皆さんも、まだまだ復興は「ゆっくりゆっくり」とおっしゃっていました。
仮設住宅を出てからのフォローという課題を抱えておられるボランティアスタッフの皆さん。
わたしたち遠方からの支援も、形は変わっても、まだまだできる事がある限り、続けていきたいと願わされています。
引き続き皆様も、是非 東北を覚えてお祈りいただければ幸いです。

◆今回の東北支援 賛美(うた)の旅に際しましては、東北応援団Love Eastさんから、必要経費の一部を御支援頂けました事を心より感謝致します。
東北応援団は、震災当初より、アーティスト派遣によるコンサート支援や、また被災地でのウクレレ教室の開催、その他各地でのチャリティーコンサートなどを続けておられます。
続けて、これらの働きのためにもお祈りいただければ幸いです。

2016年3月12日土曜日

東日本大震災から5年目を迎えて

皆様は2016年3月11日午後2時46分をどのように過ごされたでしょうか。テレビでは各地からの中継が放送され、各地で鎮魂のための集いが開かれ祈りがささげられました。

日本時間では1日遅れとなりますが、本日ハワイのホノルルにおいて”日本語キリスト教会”主催のチャリティーの集いが開催されます。この度は”東北応援団 LOVE EAST”の活動のために支援金を贈ってくださるとのこと、心から感謝いたします。


人生においても節目、節目で何かが変わるということがあるように思います。この5年の節目が復興への後押しとなるように心から願っています。

”東北応援団 LOVE EAST”では10年間の支援活動継続を目標に取り組んでおります。これからも皆様のご支援をよろしくお願いします。

岩渕まこと

2016年2月7日日曜日

◆2015年【10月2期】心の交流コンサート レポート◆  by萩原ゆたか
大変遅くなりましたがご報告させて頂きます。今期も、南三陸地域支援ネット「架け橋」中澤竜生先生にコーディネートして頂きました。今回もまた、様々なご支援、お祈りに支えられて全てのご奉仕を終える事が出来ました事、皆様に心から感謝申し上げます。 地元で継続支援されている皆様のご様子も含め、ご紹介させて頂きます。

<行 程> 10/14~18

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      14() (南三陸)仮設訪問、チラシ配布、

 個人訪問、情報交換、お礼訪問、等

      15() (登米)  YY仮設住宅

16() (石巻)  NSP仮設

                                        17() (気仙沼) KK仮設住宅

                                        18() (登米)  錦織バプテスト教会

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1期目に車の問題が起こり、現地スタッフの皆様には大変ご苦労をおかけした事もあり、今回後半は、車持ち込みで伺いました。メンバー:萩原ゆたか/万年崇子/萩原正典


<それぞれの様子> 


1)10月14日(水):石巻・南三陸にて: 当初、仮設住宅でコンサートが企画されていましたが、地元の選挙関連で集会室が使えなくなりましたので、中澤氏に同行し、被災地・住民訪問(挨拶と情報交換、昨年チャリティーのお礼)や、仮設訪問(ラシ・ポスター配布と声掛け)等で、現地の様子・生の声に触れる事が出来、有意義な時となりました。以下詳細です。


 
1◆石巻の 大川小学校跡 を訪ねる。

そこは、広大な北上川の下流域にあっても、海から蔭になるために津波が見え辛く、また過去に津波が来なかった事からか、逃げ遅れた小学生が沢山おられた悲しみの場所です。
 
(写真:普段は穏やかな 北上川 )


左の建物の2階から右の建物までは、渡り廊下で繋がっていたそうですが、左方が落ちたままです。コンクリート塊が奥に向かって捩じれ、津波の威力の大きさ恐ろしさを伝えています。



2◆悲しみを背負っておられるであろう方々に思いを馳せながら、対岸にある NSP仮設を訪れて2日後のコンサートの下見をし、集会室の和室にいたお母さん達にご挨拶、チラシ配布です。早く配ると忘れちゃうのだそうです。今回解ったのは、一つのイベントのために、毎回繰り返されるであろう、時間のかかる準備の様子でした。
例えば、ポスターデザインがなされます。それを、2時間かけて集会室へポスターを貼りに行き、一週間程して更にチラシ配り、そして、直前に声掛けをします。イベントを成功させるためには、何度も来場しての、かなりの手間暇がかけられています。しかも、ご自宅から2時間前後かかる場所での活動が殆どなのです。イベントも複数掛け持ちです。

引き籠りによる孤独死も心配される被災地で 個々の必要を知るためには、部屋から出て交流に繋がって頂きたいと、熱い思いで地道な努力が注がれ続けている事を確認し、頭の下がる思いでした。

3◆その後、南三陸に移動。幾つかの仮設にて、クイーンズ倶楽部(健康講話)のチラシ配布。病院が流されて、隣町まで医者に通わなくてはならなかった町民待望の、新しい南三陸病院が201512月に開院予定のため、婦人科の中村医師による 仮設訪問講座が企画され、南三陸チームとタッグを組んで、毎週のように進められていました。

中村師と中澤氏との協力関係は、図らずも2014年に老人福祉施設で歌わせて頂いた時がきっかけだそうです。神様のご計画が繋がっている事をしみじみ覚え感謝でした。
4◆O地域の隣組長を初訪問。地域内にある仮設団地集会室での、クイーンズ倶楽部 開催の趣旨案内とご挨拶をしつつ、地域(仮設団地の周囲)住人へのチラシ配布を依頼しました。結果、回覧板に入れて下さる事となり感謝でした。

このように、仮設団地内に限定されたイベントも、町立病院の案内も兼ねる健康イベントであるならば、立場の違う(家のある)仮設周辺住民の皆様も一緒に交流できる機会が提供されます。これは、貴重な機会であることを思いました。

5◆中澤氏チームの純粋な支援活動をよく理解してご協力下さる 地元の方々にお会いする中、教えて頂いた事があります。地元ならではの微妙な力関係や歴史、複雑な事情が絡み合っている場合があるので、継続支援する中では、それに影響されない関係を育くむための、知恵と祈りが必要であるとの事、大変勉強になりました。

6◆次に、仮設商店街で働くNさんと会いました。彼女は、一般ボランティアとしてこの地に入り、地元の方と結婚する事となり、ボランティア仲間の中澤氏が司式をされたそうです。まだ多くの方が悲しみに暮れる時期の結婚に対する賛否両論に翻弄され、辛い所を通りましたが、避難所の皆さんに祝ってもらえたという、特別な結婚式だったそうです。


 こういった、信頼で結ばれた太いパイプを更に育てながら、行政や地元の力では解決できない部分の必要にも到達されている事を知りました。

 7◆次は、2014年に東京で開かれた、ラブイースト様主催の「クリスマスチャリティー&コンサート」において、地元の声として取材に応じて下さった、童子下地区のお二人にお会いする事が出来ました。お二人は以前の訪問がご縁で、お写真やコメントでご協力をお願いし、快諾して下さった事で、被災地の情報が入り辛い東京の方々に、臨場感ある様子をお伝えする事が出来たのでした。

その後も、寒くて狭い仮設住まいを余儀なくされながらも、地区の皆様と励まし合いつつお仕事されているご様子に励まされます。そして、津波を乗り越えたという、貴重な球根を頂き、家に持って帰りました。見るたびに、津波に耐えた球根の強さと、耐えておられる皆様の強さを重ねながら、花が咲くのを楽しみにしています。
 
 
 
 
2)10/15 木 (南三陸)へ
午前 は、宇都宮から駆けつけた万年さんが合流し、志津川中学校で、台湾からの被災地支援ツアーの皆さんと合流して機材の受け渡しをしました。10日の被災地訪問だそうです。海外からも心寄せて下さっている事に感謝でした。


◆午後 (登米) YY仮設住宅 コンサート&お茶っこ:
ライフワークサポート響(ひびき)の阿部氏が継続支援されている仮設団地で、コンサートとお茶っこです。どういう訳か、皆さんなかなか集会室に入って来られません。どうも、住人同士の微妙な約束事があるようで、一人の方が遅れているので、全員そろってから談話室に入ろうとされているご様子でした。やっと集まりましたが、小さい所では交流も大事にしているので短かめのコンサートとなりました。
若い自治会長さんが、年齢の高い24世帯の方々をケアしておられました。こちらは、南三陸関連で最後に出来た仮設ですが、大手住宅メーカーが手掛けた良質の建物で、復興住宅として分譲する事になるそうです。他の仮設の方々が、寒い、壁が薄い、隙間風が…と言われる中、割合恵まれている方だとの事でした。
 
ここは登米市にある仮設。童子下のSさんが写真を撮りに来て下さり、お陰で、お姉さま方と話が深まりました。町中から離れているせいか、良い情報交換になったようでした。
 
 
 
笑顔の皆様も、よく聞けば、親戚11人流されて その内5人が行方不明の方。
親戚5人流された方等、悲惨な状況を耐えてこられた方々です。
◆無口で伏目がちな奥さんは、最後に一言「ご主人が流された」と言われました。「自分は、仕事場から高台に逃げて助かった。ご主人はきっと、家で奥さんを待っていたかもしれない」と、ご自分を責めておられるようにも見えました。
 
仮設前の狭い路地を耕し、元気な野菜を作って友人や仮設の皆さんにお分けして喜ばれているそうです。万年さんと話す声が聞こえました。「野菜あげて、人に喜ばれて、良い事してますね。」「そうかな、こんなでも大丈夫かな。」と自分の存在意義を確かめているかの様な言葉でした。
 
今となっては確認するすべもない、震災時の家族の気持ち。答えが出せぬまま、混沌とした気持ちで生き続ける人。ちょっとした励ましや、後押しがあれば、自信を持ったり 前に進める方々が、こんな形でいらっしゃるのかも知れないと感じました。
 ◆帰り際、会長さんから、手押し車4台を工面して欲しいと依頼されたそうです。中には、2-3万円という極少ない年金だけで、食べるのも大変な方達がいらっしゃるとの事。生きる為に必要な、具体的な支援を、気軽に申し出て頂ける関係作り…それが本当の支援に繋がっている事を感じました。
 
 
3)10/16 金  早朝、北関東から機材や楽器を運んできた萩原正典氏と、仙台で合流しました。この後は、現地チームの方々に、機材や楽器、荷物運びや、送迎のご迷惑をかけずにすみ、ほっとします。
◆午前 お茶っこ用の茶菓を購入後、石巻へ移動。海を見下ろす、日和山に登りました。3000軒を超える人家が立ち並んでいた市街地が、津波と火災に焼き尽くされたそうです。4年前は、壊れかかった家々や無残に倒れた墓石の間を通りましたが、今は、ごく一部の工場以外何もありません。今後は何も建てられず、祈念公園となるそうです。
 
◆午後 (石巻)NSP仮設住宅:先日チラシ配りで訪れた場所に戻ってきました。ここは、ライフワークサポート響の阿部さんが、一軒一軒回ってケアしておられる仮設団地です。

さて、こちらも皆さんなかなか集まりません。聞くと、金曜は惣菜屋、焼鳥屋さんが来る日。一人暮らしも多いので、美味しいお惣菜を買ってから集まるとの事。
 
そのうち、焼鳥屋の流す、細川たかしさんの演歌が大きく響いてきました。相手が細川さんでは太刀打ち出来ませんが、それでも歌い始めていると、買い物が終わった方からご参加下さいました。自由に買い物に行けない状況下での、食の確保は重要です。場所によって、事情ってものがある訳ですね。
 
 
 
 
始まると、一緒に歌うのがとても楽しそうでほっとしました。
コンサート後は、ケーキと野菜ジュースを両手に、皆さんのお話を伺いました。伺うと、93歳やら、88歳やら。いつも和室に集まっている6人程の方を中心に、若目の50代迄。
 
 
 


 ◆帰り際、いつものように和室に集まっていた一人の方が、重い足を引きずりながら、わざわざ外に出て見送って下さいました。その時、そっと言われた言葉が、とても印象的でした。

「折角ここで仲良くなった私達、それぞれがバラバラの復興住宅に入ったら、気軽に集まるところが無くて辛い」…と胸の内を語って下さいました。「すぐ近くに見える団地に移っても、手押し車ではもう集まれない。集まれる場所も無くなる。今の方が良い」…と、年齢を重ねた末の、将来を憂いて

ぽつんと教えて下さいました。
 

新しい住宅に入っても、また一から人間関係を始めなくてはなりません。新しい環境に慣れるために、また、どれだけ時間がかかるでしょうか。でも遠くには歩けません。心の叫びなのだと感じました。

 そして、「また来れるようにしてよ」…と念を押して手を握られ、何時までも手を振って下さいました。切ない気持ちで、お母さんの笑顔に見送られました。
 ◆コンサート中、部屋の壁を背に、目を閉じて鑑賞していたお父さんがいらしたそうです。中に入るのが照れ臭かったのでしょうか。感謝します。帰り際、今度は3人で大川小学校に立ち寄りました。
4)10/17 土:は、更に北上して、気仙沼に移動です。


気仙沼は初訪問です。流されてしまった海側は荒涼としており、以前は殆どなかったという、都会並みのビルの復興団地や コンクリートの公営住宅が建設ラッシュです。


先ずは、気仙沼第一聖書バプテスト教会に立寄りました。流れてしまった十字架をどなたかが教会の敷地に戻して下さり、新しい場所に移って復興支援の拠点になった事を伺いました。

その後、昼食を頂きながら、ライフワークサポート響 の阿部氏と合流し、活動についてお聞きしました。


◆実は、中澤先生チームは、最近、阿部氏が 長年一人で支援を続けてこられたコミュニティーに、共同支援に入るようになられたそうです。支援活動対象が広範囲で多数のため、支援者同士が連携して、情報を提供・共有し合う事で、より細やかで多角的な支援を届けられるそうです。被災者ばかりでなく、地元支援者達が、孤立せずに励まし合い知恵を出し 合う事は、まだまだ長期戦の支援を続ける上で、重要な事だそうです。


復興庁によると、仮設住宅団地の数は、南三陸町で 58団地、気仙沼 87(※参考、石巻 131)との事。新しい復興団地が出来始め、移住の途上で統廃合が進む時期ではありますが、まだまだ広範囲に、多くの被災者がいらっしゃる中、前向きで 知恵を絞った協力体制を工夫しておられる事は、希望に繋がりありがたい事であると思いました。


◆午後 (気仙沼) KK 仮設住宅 

準備中、ここまで3時間もかけて案内して下さった中澤氏は、さっきついたばかりなのに、急用の為、仙台へ戻られました。本当にお疲れ様です。
 

お世話役の阿部さん司会の元、時に頷いたり、目頭を押さえて、一生懸命聞いて下さいました。コンサート後、今度は皆さんのお話も伺いたいと思いましたが、人数が多かった事もあり、さほど伺えず残念に思っていました。
すると、何かお返しをしたい…と、お茶の先生が戻ってこられ、無花果のお菓子と共に、それは美味しいお抹茶をふるまって下さいました。

 

 
 そうしている内に、仮設イベントでは珍しい、自治会の頼もしい男性役員の皆様が戻ってこられ、プチ2次会を始められました。そこで、改めてゆっくりと、色々な話をお聞きする事が出来たのでした。
お話によると、ここは気仙沼で一番早く出来た仮設団地。当初、日本は元より、世界中から支援イベントが入り、最も多い時には一カ月に45ものイベントをこなしていたとの事。ところが、4年半経った今、月に2-3件しかないそうです。しかし、まだ、盛土が落ち着いて新居に入れるまで、3-4年も仮設暮らしが続く方もおられます。誰しも取り残されていく感は否めない事でしょう。
 
そんな折、私達が伺ったことを大変喜んで下さり「忘年会にもきてほしいなあ」…というお声を頂きました。とても嬉しい思いに感謝しました。これから環境が変わって行くお一人お一人に沢山の祝福がありますよう祈りつつ別れたのでした。
 
 


5)10/18 日 午前 (登米) 日本バプテスト同盟 錦織バプテスト教会 
ツアー最後の朝は、高台の歴史ある教会で歌わせて頂きました。
 
気さくにおもてなし下さった 天野先生ご夫妻に伺ったところ、こちらは保育園を併設されており、地域には卒園生が多数いて、地元から「教会さん」と呼ばれて大事にされているそうです。このような形もまた「地域に根差す」一つの形である事を感じました。
 
 
都会だったら人気スポットになりそうなレトロな木造建築は、どこを見ても懐かしくて絵になります。お近くに行かれた際に、寄ってみてはいかがでしょうか。自然に囲まれたサンルームでお茶を頂き、暖かい時間を過ごさせて頂きました。
 
 
 
 
◆そして、午後 (登米)イエス福音教団 宮城教会 にて、バーベキューのおもてなしを頂きました。こちらは、昨年夏に伺った田んぼの中の気持ちの良い教会です。初日にお会いした台湾チームが寝泊まりしておられ、来年も続けて訪れたいとの事でした。海外からも継続的な支援の気持ちを注いで下さるお姿に感謝しました。
 
おもてなしを受けながら、以前、中澤先生からお聞きした言葉を思い出しました。
被災地、及び、近隣の教会は、支援活動に心がありながらも、様々な事情により、全てが積極的に被災地に「出かけて」行けるわけではない。しかし、この地域チームは、共に協力し合い、後方支援でそれぞれが担って下さるチームワークがあり感謝 との事でした。
私達も台湾チームも、その後方支援を受けさせて頂き「支援者をもてなす」という役割を担って頂いていたのではないかと感じ、その暖かさと、美味しさにお腹いっぱいになり、旅の最後にほっとする事が出来ました。

 
<まとめとして>
1◆2期は、一週間弱の長いツアーとなりました。歌うだけでなく、その前後、沢山の方とお会いし、状況を学ばせて頂けた事は、貴重な経験となり、被災地の皆さんのお気持ちや必要に対する理解が、少し深まったような気がしました。
2◆被災から5年目となる、20163月は、丁度、復興住宅へ移住される方も多く、一つの区切りとなる時期との事。復興住宅で孤立してしまった方も、仮設時代の関係がきっかけになって良い方向に向かう事があるそうです。
支援から共働へと少しずつシフトする中で、残る仮設住宅を回っての関係作りと、その後に続く、新しい団地での関係継続につなげられたら…と、色々な方と協力関係を持って、将来に向けた準備をされているご様子が印象的でした。

3◆今回も、東北応援団ラブイースト様(一部、東北ヘルプ様)より、必要経費の一部をご支援頂きました事を、心から感謝申し上げます。先の長い復興の過程を歩まれる皆さんを、日本中で憶え続ける事ができたら幸いに思います。お祈り、応援をありがとうございました。

感謝をこめて♪萩原ゆたか♪