2014年11月30日日曜日

釜石ウクレレ会

昨年発案した「音楽の種まき」プロジェクトの一環として始められた釜石でのウクレレプロジェクトがこの秋に「ウクレレ会」として定期的な集まりを持てるようになりました。その様子がFacebookにアップされていました。→いっぽいっぽ岩手

現地で開催のために労をとってくださっている「いっぽいっぽ岩手」の高橋先生をはじめ、昨年何度も釜石に足を運んでいただき「ウクレレ会」の基盤作りをしていただいた関根一夫先生、ジョン山崎先生、そして釜石のためにウクレレを提供してくださったウクレレメーカー「Koaloha」の創業者であるアルビンさんに心から感謝します。

今後LE(応援団の略称になっています)からは岩渕がウクレレの講師をかねて、3ヶ月に1度程度のペースで釜石へ伺うことにしています。このプロジェクトが継続されて、子供たちが参加してくれる「子供ウクレレ会」へ広がっていったらと願っています。今後もLEの活動のためにご支援をお願いします。

2014年11月12日水曜日

仙台の沿岸部(岩渕)

今回の滞在2日目の11日は10時少し前に最初のライブ会場のニッペリア仮設住宅に入りました。会場では健康体操が行われていて、終わるまで会場の外で待機です。健康体操が終わったタイミングで音響機材や茶菓の搬入を開始しましたが、セッティングは昨日に続いて2回目なので、なんと15分程度でセッティングを終えて、簡単なサウンドチェックをすることができました。準備の時間があまりないのでひよっとしたら開始が遅れるかもしれないと話していたのですが、無事に予定の10時半にスタートすることができました。





一昨年もこちらに来ましたが、その時に比べるとずいぶん人が少なくなっているそうです。家を建てた方や、復興住宅へ移った方がかなりいらっしゃるようです。



ニッペリアでのセットリストはこんな感じでした。

1  日日草
2  なぜか人生初の「青葉城恋歌」
3  ぺんぺん草
4  北上夜曲
5  私の青空
EN
6  生きているから

ライブの後はなんと芋煮がふるまわれました。私も久しぶりの芋煮に舌鼓を打ちながら、一緒にテーブルを囲んだ皆さんと震災の頃の事や、最近の生活のことなどなどいろいろと話が弾みました。話の端々に感じるのは私も仙台人だということです。なぜならばローカルな話にどこまでもついていくことができました。



芋煮も一段落したところで、午後のライブのための移動開始です。機材をたたんで、会場を掃除して、ライブ会場の港南ハウスへ向かいました。こちらはご自分も被災されたOさんご夫妻が今後のためにみんなが集まれるようにと計画して建てたお宅です。

こちらには近所の方をはじめ、遠くからも「コンサートならば」ということで来てくださった方々で席がいっぱいになりました。



こちらのセットリストです。

1  きく
2  スマイル
3  ただありがとう
4  ガクアジサイ
5  なんでもできる
6  私の青空
7  God Bless You
EN
8  生きているから
EN
9. 父の涙

こちらでも初めて聴く歌が多いのにもかかわらずみなさんが最後まで耳を傾けてくださり、良い時間を持たせてもらいました。

ライブの後にお茶の時間があったのですが、みなさん和気あいあいといろんな話を聞かせてくれました。「また歌いにきてください」なんて嬉しい言葉をかけていただきながら港南ハウスを後にしました。

ここ1年ほどは宮城は交通の便も良いこともあって、比較的に多くの方々がボランティアに出かけていらっしゃることを見聞きしていました。私はあまり人が行かないところに行かせてもらおう、ということで福島や岩手を訪ねることが多かったのですが、震災から時が過ぎて、宮城でもボランティアの方は減っているそうです。今回の2日間の訪問で東北のそれぞれの地域で今もボランティアが必要とされていることを再確認しました。”東北応援団 LOVE EAST”の働きが現地のニーズに応えてゆけるように、引き続きみなさまのご支援をお願いします。

2014年11月10日月曜日

亘理町公共ゾーン第2集会所(岩渕)

今日は昨年に続いて2度目の亘理への訪問です。仙台駅で新幹線を降りて常磐線に乗り換え、南へ向かって約30程で亘理に着きます。常磐線は亘理の先の浜吉田駅で途絶えています。その先の相馬方面へはバスを乗り継いで行けるようです。駅前には接続のバスが待っていました。


私は亘理で下車して今回お世話になる「HOPEみやぎ」のバンへ乗り込みました。



今回は昨年訪問した仮設住宅とは別のところにある「亘理公共ゾーン第2集会所」という所です。ちょうど常磐線の窓から見えていた仮設住宅でした。

12時に会場入りをして、早速PAのセッティングです。「HOPEみやぎ」ではPAのセッティングができるスタッフがいないので、最近はミュージシャンにコンサートの依頼をしにくいとのことでした。音響の手助けをしてくださる方も必要ということですね。

セッティングを終えて、お昼は亘理名物の「はらこめし」のご馳走をいただきました。



ボリュームもあってとてもおいしくいただきました。これで1000円しないそうです。亘理にお出かけの時にはぜひ「はらこめし」にトライしてみてください。

さてライブは1時半から約45分程度を予定していました。司会の方に紹介をしていただいてライブが始まりました。正確な人数は確認していませんが大体70人くらいの方が集まっていらっしゃったと思います。

今日のセットリストは以下のとおりです。

1 スマイル
2 ペンペン草
3 まつたけ
4 なんでもできる2014
5 私の青空
EN
6 生きているから

途中いろいろなMCもしますのでこれで大体45分の時間通りでした。

いざ始まってみるとこちらの問いかけに皆さんがいろいろなレスポンスを返してくださって、まあたくさん笑い、時に涙したライブとなりました。ライブ中の写真を撮ってもらうのを頼み忘れましたので、その後のお茶の時間に私の歌っていた時の位置から写してみました。



お茶の時間もそれぞれで相当話が弾んでいるようで、みなさん時間を忘れてしまったような感じでした。

お開きが近い時間になると「もう少し歌ってほしい」というリクエストがあり。第2アンコール?になりました。歌ったのは「君がいて僕がいる」「What a wonderful world」「北上夜曲」です。ひとつ歌い終わる度に「もう少しうたって・・・」という声が聞こえてきて結局3曲の第2アンコールとなりました。最後の「北上夜曲」はみなさんも一緒に歌ってくださって、会場全体がひとつになって普通のライブという雰囲気になりました。真剣に聴いてくださったみなさまに本当に感謝します。

亘理でも仮設から復興住宅へ引越しをする方々もいらっしゃって、少しずつ顔ぶれも変わっているようです。またお会いできるかどうかはわかりませんが、「またお会いしましょう」と声を掛け合いながらみなさんとお別れしました。

ライブの中で私は「ここは亘理の武道館みたいだ〜」とジョークを言いましたが、本当に会場全体がひとつになったライブとなりました。”東北応援団 LOVE EAST”を支援してくださる方々の支援に支えていただいて今回も宮城を訪ねることができています。後方で支援をしてくださっている多くの方々に心から感謝いたします。”東北応援団 LOVE EAST”では10年のスパンでの支援活動ができるようにと願っています。これからもご支援をよろしくお願いします。明日は仙台の海側に位置する若林区の仮設住宅と個人宅の2カ所で歌いますので、なるべく早く明日の報告もさせていただきます。



「亘理公共ゾーン第2集会所」でお会いしたみなさま、「HOPEみやぎ」のスタッフやボランティアでお手伝いしてくださったみなさま、楽しい時間を一緒に作り出してくださってありがとうございました。

2014年10月7日火曜日

10月1日〜3日釜石レポート(岩渕)

昨年より「音楽の種まき」というテーマを持って釜石でのプロジェクトがスタートしています。活動のコンセプトは、これまで楽器や歌に接する機会のなかった方々を対象にしての音楽レッスンの定期的開催です。このプロジェクトは釜石や山田町を中心にして支援活動をしていらっしゃる「いっぽいっぽ」の活動のひとつとして、LEの企画共催の形で進められています。

昨年末にはウクレレコンサートを開催して、ウクレレに親しんでいただく機会を持つ事ができましたが、そこでの出会いがきっかけとなり、今回定期的なウクレレの集いを開催することが正式に決まりました。

さてここで今回の活動レポートをさせていただきます。初日の1日(水)は新幹線と在来線を乗り継いで約6時間程かけて午後2時前に小佐野駅に着きました。小佐野駅は釜石のひとつ手前の駅で「いっぽいっぽ」のボランティアセンターの最寄り駅です。

ここで「いっぽいっぽ」の責任者の高橋先生にピックアップしていただき、早速最初のコンサートを予定している小川地区サポートセンターへ向かいました。





サポートセンターではスタッフの方々が常駐していらっしゃるので、仮設での暮らしも少しは安心だそうです。釜石ではサポートセンターを設けている仮設住宅は3カ所とのことでした。

夜にはボランティアセンターを会場にウクレレの集いが準備されていました。昨年12月から諸事情によりなかなか開催できずにいたこの集いが始められることは喜びですが、いったい何人の方が集って下さるのかが未知数でした。とにかくひとりでもお出でくださったらやりましょう、ということでしたが、時間になると3人の方々が来てくださいました。さらにボランティアでいらっしゃっている方々も加わって、にぎやかで楽しい時間になりました。




約2時間程ワイワイと簡単なウクレレのレッスン?をしましたが、終わってもみなさんがお帰りになる感じがありません。そしてひとりの方が「ぜひ定期的にウクレレを教えて欲しい」という要望が出されました。そしてその場で2週間に1回高橋先生がリードしてのウクレレの集いを持ち、3ヶ月に1度のペースで岩渕がレッスンをしに伺うことになりました。10月1日は「音楽の種まきプロジェクトが」具体的に動き始めた記念日となりました。

さて2日目の午前中は小槌第12仮設住宅でのコンサートです。こちらのみなさんは手先の器用な方が多いらしく、手作りのものが沢山飾られていました。



小槌地区は大槌町にあります。山を挟んで大槌地区と小槌地区とに分かれているそうです。皆様ご存知の通り大槌町は街全体が壊滅状態になった町です。現在も多くの方々が避難生活を余儀なくされています。





小槌でのコンサートを終えてすぐに私は山田町へ向かいました。「いっぽいっぽ山田」のカフェでのコンサートのためです。こちらのカフェは津波ですっかり様相が変わってしまった山田の駅前に位置しています。もちろん駅舎も町も壊滅状態です。ちょうど今カフェの回りが工事中で重機の音が響く中でのコンサートでしたが、みなさん最後まで耳を傾けてくださいました。






この日は午後のコンサートで予定を終えて釜石へ戻りました。山田と釜石は車で30分程の距離です。途中に吉里吉里、大槌、子供達が「津波てんでんこ」の教えに従って逃げて助かった鵜住居地区があります。

最終日の3日はボランティアセンターから近い山田仮設住宅でのコンサートです。こちらは集会室ではなく普通の仮設住宅を集会場にしたこぢんまりとした会場でした。



壁にはこれまで訪ねてこられたボランティアの方々の寄せ書きが沢山貼られていました。



コンサートも終えてさあお茶でもというタイミングで、男達はグランドゴルフをしよう、ということになりました。以前から手作りの道具でグランドゴルフをしていたとのことですが、いっぽいっぽを通してグランドゴルフの道具が提供されたこともあってとても盛り上がっているようでした。私も誘われるままに初めてのグランドゴルフにチャレンジをしました。



このコースは仮設の間の舗装された通路ですが。ほとんどは小石の沢山ある空きスペースでのプレイでした。仮設のリーダーの方がこうおっしゃいました「こういうでこぼこの所でやれば、上手いも下手もないからいいんだよ」。以前は点数を付けたこともあったそうですが、それは止めてイレギュラーだらけのグランドゴルフを楽しんでいらっしゃるとのことでした。


この写真は何度も一緒にビリを競った方とのツーショットです。この方は漁師であり大工さんでしたが、海の仕事はなく、大工道具も流されてしまって、ずっと仕事ができない状態にあるそうです。どこかに眠っている大工道具がないかなと素人の私は思ってしまいました。

コンサートを終えて釜石を後にする時間がきました。小佐野駅のホームに立つと夕立のような雨が降ってきました。


後ろをふりかえると小さな虹がかかっていました。


次に釜石を訪ねるのは年明けの1月に なると思います。釜石でのウクレレレッスンが仮設の皆さんの訪問ができるようにぜひ皆様のご支援をお願いいたします。そしてぜひみなさんも釜石を訪問してください。釜石、大槌、山田の方々がみなさんを待っています。

2014年8月26日火曜日

心の交流コンサート(@南三陸)レポート 

心の交流コンサート(@南三陸)レポート  by萩原ゆたか(シンガーソングライター)
2014年7月26日~28日/

 昨年11月に引き続き、南三陸の地域支援ネット「架け橋」リーダー、中澤竜生先生のコーディートの元、東北応援団 ラブイーストさんからの派遣で伺わせて頂きましたので、地域の皆様の様子をご紹介すると共に、ご報告させて頂きます。
                                                         


<行程>

1)26日(土) 宮城県 南三陸町
                   戸倉中学校グランド仮設住宅 コンサート

2)27(日)     登米市 イエス福音教団  宮城教会 礼拝賛美

3)          岩手県  一関市 大籠キリシタン資料館 見学

4) 28(月)      南三陸町  山の神平仮設住宅
                  「茶話会 + 押し花作り」

5)          南三陸町  ハイムメアーズ
                  (介護老人保健施設)コンサート


<やさしさと希望をお届けする>

地域支援を続けられているクリスチャンが集まり、今年1月に、星野富弘氏の詩画展を南三陸各地で催され、詩画と氏の生き様に多くの方が慰めを得たそうです。

その際に起用されたサブタイトル「優しさと希望をお届けする」シリーズの続きとして、今回私達のコンサートにサブタイトルをつけて頂き、万年崇子(キーボード、サポート)、萩原正典(音響、運転)と共にチームを組んで回らせて頂きました。

<全体の様子>

※「架け橋」HP内に、今回の写真を沢山掲載して頂きました。是非ご覧下さい。
「活動予告と報告」タブ → 7月26-28日…にあります。


津波が町全体を覆った様子(南三陸町・さんさん商店街 相良スタジオ店頭パネル写真より)

震災前:志津川中学校から見た町(志津川中学校前フェンス 展示パネル写真より)

現在:盛り土をしたままの町を草が覆っている (Photo by Yutaka 2014.7.26)


<それぞれの様子>

◆1)26(土) 戸倉中学校グランド仮設住宅 集会所に、90代を先頭に30名程の方がお集まり下さり、身体を揺らしたり、手拍子をしながら、盛り上げ、楽しんで下さいました。こちらでは、外からのイベントが沢山行われているそうです。

震災で水に浸かり止まったままの戸倉中学校の時計

飛び入りのKさんも加わりウクレレでハワイからの思いを伝える

コンサート後にご挨拶
(Photo by Ken & Yuki Matsuura)
仮設のリーダー Sさんに伺ったところ、他の仮設には、既に気心知れた、元同地域の方がまとまって入居している所もあるそうですが、こちらは、別々の地域の方が集められた仮設なので、皆さんが顔を覚え、馴染むまでに半年以上かかり、支援物資の均等な配布や、親睦を図る努力を丁寧に積み上げてこられ、その努力あって、とてもよい関係が築かれたそうです。

最近は、外からのボランティアに対し、せっかく遠くから来るのだから、来た人にも、来てよかった…と思ってもらえるようにお迎えしている…との事でした。もはや支援者と被支援者の関係ではなく、支援の思いに答えようと受け入れて下さる、相互の心の交流の場である…と感じました。励まされ、楽しい時間にして頂けました事、本当に感謝でした。

こちらでは、ボランティアを通じて、ホームページで活動を発信しています。今回の動画・写真をアップして下さいました。ご覧ください。




また、HPでは、狭い仮設住宅で生活を続けておられる皆さんの、地域コミュニティーに必要な資金のために、『やわらかくて おいしい 南三陸産ワカメ』の販売をしているそうです。是非、ご利用頂き、南三陸の話題と共に、ご近所にもお分け頂けましたら幸いです。(隣接する仮設の為にも使用されているそうです)



◆2)27(日) 登米市にある 宮城教会 は、見晴らしの良い田圃の中に現れる美しい教会です。礼拝にて、賛美と証の時間を頂きました。南三陸町は壊滅的な被害を受けて土地が少ないため、隣接する登米市には、南三陸町の方が入居する、大きな応急仮設住宅があります。こちらでは、中澤先生方とチームを組み、訪問して下さっているそうです。震災から3年半が経って、支援縮小の流れの中にもかかわらず、ケアするチームが少しずつ拡がっている事に感謝しました。

(Photo by Seigi Sasaki)


逆に、現地支援されている皆さんも、震災直後からの長期支援のなかで、時に疲労困憊されるそうです。外部から伺って交流する事が、少しでも元気の素になればと願いましたが、実際は 教会の皆さんのアットホームなおもてなしに、こちらが優しさを頂きました。


◆3)午後は、支援地域近郊の歴史を学ぶ事も益となるでしょうとの事で、一時間程北に走った岩手県との境にある「大籠キリシタン資料館」を、教会の方にご案内頂きました。


戦国時代にキリシタンが多く働く「たたら製鉄所」があったそうです。秀吉の世にキリシタン禁制がしかれた折、質の高い鉄を生産していたため、当初、地元の殿様から見逃されていましたが、次第に中央の圧力から逃れられず、日々の踏絵により キリシタンを捨てなかった数百人の方が処刑されたという場所が、美しく静かな森に眠っていました。

ひっそりと眠る歴史…という印象でしたが、よく考えれば、僅か四百年前から明治時代まで続いた実際にあった史実です。その後、地域の皆さんの心情に少なからず影響があったのではないかと思いました。色々感じる事がありましたので、詳細はまたブログなどに記したいと思います。


◆4) 28(月)  山の神平という小さな仮設 での茶話会は、宇都宮教会のご婦人が丹念に用意された美しい押し花を 万年さんがお持ち下さり、「押し花作り」の一時となりました。控えめな奥様が「いつも先生方には大変お世話になって…」と気遣いされ、とても遠慮がちでした。

ところが、押し花は かなり個性が反映される事が分かり、作品を見せ合いながらすっかり賑やかになり、以前からの友人のように、冗談や笑い声が飛び交う とても和やかな時間となりました。
おもてなし頂いたお芋と漬物、お菓子を感謝して頂き、すっかりお腹も満たされ、皆さんとウクレレで一曲歌って素敵な時間を終えました。



決して作り笑顔でない、屈託のない笑顔と少女のような瞳の輝きを見て思いました。こんな機会があって、素敵な仲間がいれば、本当は楽しくて明るい事もお好きな奥様方なのでしょう。震災前はそれもあったのでしょう。でも、震災後の状況がそれを阻むのかもしれません。

み言葉が書かれたしおりを選んで作った婦人の言葉が印象的でした。本を読むのが好きで牛乳パックでしおりを作っている。こんな綺麗なしおりが作れて嬉しい…と。しおりを作る素材にすら事欠く状況を垣間見た気がすると同時に、日々、孤独の中で暮らしておられる方々の所に、時々出向いて行く事の必要を感じました。


◆5)28(月) 南三陸町  ハイムメアーズ(介護老人保健施設)は、三陸の外海が見える高台にあります。職員の皆さんが作って下さった、夏祭り風のステージで、60名程の皆さんご参加の元、コンサートと交流の時を持たせて頂きました。

人生の大先輩方が、穏やかなお顔で 一生懸命歌を聞いて下さいました。私が体調について話せば 心配そうに頷いたり、ハワイアンな衣装で ウクレレと共にハワイから届いた応援の気持ちをお伝えすると 一緒に歌って下さいました。
(Photo by Temote Suzuki)

コンサート後の挨拶では、身体に気を付けて…、また来てください…と、大先輩の皆さんの 大きな懐の中に受け入れて頂いている…そう感じました。又、数日後には、ご入居の方から丁寧なお礼状まで届き、一時がもたらす豊かな心の交流を感謝しました。



<支援者の思い>

1)  医療を通じての支援: 
ハイムメアーズさんでは、もう一つ素敵な出会いがありました。施設長の中村幸夫さんは、日本では貴重な産婦人科医でいらっしゃいますが、また是非南三陸で…とお声かけ頂き、ご自身が執筆された 新聞連載記事を頂きました。後程、拝読し感銘を受けました。

(Photo by 公立南三陸診療所レディース外来 on FB Page)

震災後、青森県弘前市から医療支援のお立場で大槌町に入られ、そこで長期支援の必要を感じ、陸前高田では仮設住宅での暮らしをしながら支援を続け、気仙沼を経て、この春より南三陸町に移り住まれました。 

将来を見据えて、地域ぐるみの包括的ケアのために色々な専門家と協力しながら、ご自身の生涯をかけて、復興への道を一歩一歩 実現に向かって歩んでいらっしゃるお姿に感銘を受けました。

 このような人道支援の思い、人間に対する愛情を持って生涯をかける方々のお力は、被災で多くを無くされた地元の皆さんにとって、どれだけ力強い励ましとなる事でしょう。現実的な助けとなり、確実に復興を後押しされている様子を垣間見て、10年後、20年後の町の発展を想像しました。

震災直後より 仙台から南三陸町に通い続けておられる、中澤竜生師(中央)
佳子師、義道さん、鈴木手以師 (Photo by Mitsuyuki Sasaki)

また、中村先生は、架け橋の中澤先生と協力して、仮設住宅に住む方々を対象に、医療相談訪問をするプロジェクトを始めたいと おっしゃっていました。地域密着で細やかな関係を築いてこられた中澤氏だからこそ、こういった実質的な支援に関わられる事を思いました。

2)  ハワイからの思い: 
また、今回は、ハワイのウクレレメーカー、KoAlohaの社長 Alvin Okamiさんが震災後の日本を思って作られた「なんでもできる」という曲を使わせて頂きました事を感謝いたします。ご一緒にUkulele Praiseという活動をされているJon Yamazaki先生が 昨年ウクレレを持って来日された折に伺った、ハワイから被災地を思う熱い気持ちをご紹介しましたところ、皆様心に受け止めつつ、歌を楽しんで下さいました。


3)  継続支援の必要:  
まだ支援の必要な地域は多いですが、南三陸町の場合は、土地がなく、以前の市街地を土で嵩上げしたり、居住地のために山を削って均す、というところから始まり、やっと片付いた街中も、仮の商店以外、まだ何もない状態です。

宅地増設のために崩される山/左下の海に続く平地は津波で流されたため、宅地には出来ないという

復興住宅が行きわたるのにまだ4-5年かかるだろうとの事。つまり、一時的な目的だった応急仮設住宅に、既に3年半、今後まだまだ、生活の基盤が整うまでには、気の遠くなるような時間がかかります。そんな強いられた状況の中、傷ついたまま、現実と向き合っておられる方が、まだまだ多くいらっしゃる事をどうぞ忘れないで頂き、これからも、心にかけ、祈り、ご支援頂けますようお願いいたします。

<最後に>

今回も、東北応援団 ラブ・イーストさんのお働きに賛同された皆様の尊い捧げものに助けて頂きました事を心から感謝申し上げます。私達は小さなグループです。しかし、皆様の応援と祈りに支えられ、丁寧な被災地ケアを続けておられる西仙台教会の中澤先生ご家族を始めとする、地域支援チームの皆様に助けて頂きつつ、全ての時間が祝され、皆様の思いが幾らかでも伝わったのではないかと感じました。

チームの皆様は、ご自分の将来や、経済的な事は2の次3の次にされて、地域の皆様のケアに心を砕き、知恵を絞り、良き関係作りに邁進しておられます。チームの皆さんの為にも、是非覚えてお祈り頂き、それぞれのHPなどからもお捧げ頂けましたら感謝に思います。必ずや、皆様お一人お一人の愛が結び合わされて大きな力となり、地域ケアの必要に届く事でしょう。

http://www.kakehashi2013.com/    http://yokiwaza.jimdo.com/活動予定/


◆追記:お詫びと昨年11月のご報告:

実は昨年、2013年11月22-24日に渡り、同じく南三陸町関連の仮設住宅で支援コンサートをさせて頂きました。その後、レポートを書き、事務局の皆様には下書きをご提出致しましたが、HPに公にアップする段階になり、誰かを傷つけはしまいか…と、あまりに色々な事に出会ったゆえ、考えすぎてしまい、結局アップ出来ませんでした。ご支援頂きながらご報告が出来なかった事をお詫び申し上げます。

※2013年11月の訪問場所:
1)登米市南方イオン跡仮設住宅 2)小森仮設住宅 3)志津川小学校仮設住宅 4)志津川中学校仮設住宅 5)2011年6月にコンサート会場となった、歌津のS家を訪問(以上) 


あれから8か月経って思う事は、当時、震災から2年8か月が過ぎ、もうすぐ3年になってしまう…という状況の中で、政治や支援状況の変化もあり、地元の皆様の心の動揺など、大変微妙な時期であったので、私も敏感に感じてしまっていたようです。その後、大変心が重くなりました。


※市街地だったところに ポツンと残った「防災対策庁舎」(2014年7月26日撮影)

 今回は、震災後 3年4か月経って、皆さん(人によりますが)、どこか腹をくくったような様子を感じる事もありました。未来に向けてここから発信するのだ…という言葉も聞きました。復興とは、建物や街づくりだけなく 人の気持ちや生活を指しますので、出来る事は小さいですが、応援を続けさせて頂きたいと思いました。 

出会わせて頂いたお一人お一人に、神様からの祝福が更に注がれる事を祈りつつ、また、皆様のご愛に心から感謝し ご報告とさせて頂きます。長文、お読み頂きありがとうございました。

心からの感謝をこめて 
萩原ゆたか




2014年7月17日木曜日

子供達が募金箱を持って


7月13日に開催された「リトルピアニスト&JOYJOYミュージックファミリーコンサートVol.5」では休憩時間にロビーや会場で子供達が募金箱を持って支援活動に参加してくれました。集められた8,629円の支援金は岩渕が確かにお預かりしてきました。



また岩渕まこと&由美子のコンサートのミニコンサートではアルヴィンさんの「なんでもできる2014」を会場のみなさまにコーラスを手伝っていただきながら一緒に歌いました。「なんでもできる2014」はこれからもあちらこちらで歌わせていただくと思います。

この動画は5月のライブで収録したものです。

  


そしてこちらはアルビンさんとジョン山崎さんが歌うオリジナルの「なんでもできる」です。このお二人は釜石での音楽の種まきプロジェクトに大きな支援をしてくださっています。



今月末にはもう何度も支援コンサートに出向いてくださっている、シンガーソングライターの萩原ゆたかさんが宮城を訪ねてくださることになっています。みなさまからお預かりした支援金はこのような支援コンサートの交通費や滞在費のために使わせていただいています。

JOYJOYミュージックファミリーのみなさま本当にありがとうございました。岩渕まこと



2014年5月5日月曜日

2014年

被災地にアーティストを派遣。
福島県会津、宮城県南三陸の復興支援コンサートへアーティスト派遣。
ハワイのKoAloha社を訪問(旅費生活費は自己負担)、ホノルルにて復興支援チャリティーコンサートが皆済される。

2013年

音楽の種まきプロジェクト始動。
宮城県の気仙沼、福島県の大玉村、福島市、会津の仮設住宅などでの復興支援コンサートへアーティスト派遣。音楽の種蒔きプロジェクト始動。
岩手県釜石、大槌、山田地区を対象に音楽レッスンのプロジェクトを開始。いっぽいっぽ釜石、山田との共催でウクレレコンサートを数カ所で開催。ハワイのウクレレメーカーKoAlohaとの支援強力関係が構築され、釜石のレッスンの為に高級ウクレレを10本提供していただく。

2012年

被災地にアーティストを派遣。
宮城県の牡鹿半島、南三陸、石巻、東松島、福島県の大玉村の仮設住宅での復興支援コンサートへのアーティスト派遣。
都内ライブハウスにおいての復興支援ライブ。

2011年

応援団発足。
宮城県栗原市のアメージング・グレイス・ネットワークミッションとの協力で宮城へ数名のボランティア常駐支援。首都圏からのボランティアコーディネートと送迎及び現地派遣。宮城県の牡鹿半島、南三陸、石巻、東松島の避難所や仮設住宅での復興支援コンサートへのアーティスト派遣。
シンガポール・マレーシア約10会場での復興支援チャリティーコンサート。
都内でのチャリティー文化祭。
シンガポール・マレーシア約10会場での復興支援チャリティーコンサート。都内でのチャリティー文化祭。。
At vero eos et accusam et justo duo dolores et ea rebum.