2019年8月29日木曜日

夏祭り支援@〇地区災害公営住宅



(レポート)
夏祭り支援 @O地区災害公営住宅 /7/271618時(2019年)by萩原ゆたか

仙台の災害公営住宅で「ありがと音頭」の初踊りがありました。地元で活動する先生方のお働きが、夏祭りで皆さんが踊って下さる事につながりました。レポートいたします。



仙台の中澤竜生・佳子先生(聖教団 仙台宣教センター)が開所から関わっておられる、O地区復興支援市営住宅 の夏祭りで、主人が音響を、私は「ありがと音頭+歌のコーナー」40分をお任せ頂く事になり、自治会婦人部の皆さまと、前もって踊りの練習を積みながら当日を迎え、飛び入りの方もご一緒に踊り、和やかな一日となりました。



こちらの住宅は、仙台近辺は元より、気仙沼や南三陸などの避難所や仮設住宅にいた方々も車で数時間も離れた仙台市に移っておられ、コミュニティー作りの援助依頼があって尋ねると、先生が震災直後から関わってきた方々が何人もいらっしゃって、ここでお会いするとは…と、双方大変びっくりされたそうです。

知人も少ない土地で、顔見知りの先生に再会した事は大きな慰めになったことでしょう。その後も大変良い関係を育んでおられます。実は、昨年7月夏祭り前にも、町内会の打ち合わせに私も同行させていただいた経緯がありました。今回は、丁度プライベートで仙台入りされていた 岩渕夫妻が、祭り前にお立ち寄り下さいました。

市営住宅入り口で

中澤先生が自治会長さんをご紹介
夏祭りは、太鼓演奏の後、私が担当する、七夕踊り+歌+ありがと音頭があり、その後、スイカ割、くじ引きと続きます。 婦人会の方々が推進役で頑張っておられますが、外部からの支援が欠かせず、社協の連絡の元、近隣や埼玉県からもボランティア団体が、くじ引きや水ヨーヨー、焼き鳥など盛り上げていました。


今回、自治会では、4月から夏祭りの話が出ており「良い出し物がないかしらね~」という相談を受けて「ありがと音頭」のご紹介に至ったそうです。その後、歌や踊りの映像を使って、毎週練習して下さいました。

1ヶ月前には、萩原が出向き、音頭のおさらいと七夕踊りの練習をして、ご婦人方と友達になりました。

1ヶ月前の練習風景
お陰で、当日は既に良い感じで踊りに慣れて下さっており、私も仲間の一人として迎えて頂いたのが嬉しかったです♪ これも、毎週のように通い、茶飲み話をしながら、自治会の皆さまに寄り添う働きを続けておられる先生方のお働きによるところがとても大きいと思いました。 

香港からの若い宣教師カップル2組が、事前に婦人会の方々と音頭を練習して下さっていました。自治会の方に着付けしてもらい、片言の日本語と笑顔で踊りの輪に華を添えて下さっていました。

一緒に「ふるさと」を歌う宣教師
仙台の市営住宅は、都市部や沿岸部、内陸や海岸など、正に色々な土地から集まり、生活のバックグラウンドも 生きて来た背景も、被災の程度も心の傷もちがうので、関係作りにはご苦労も多いようです。 そんな時は、外部支援者がクッション役になる事もあるようです。 婦人会が、住民が引きこもらずに何とか外に出てもらえるように、又、若い世代とも交流の機会を作ろうと、努力されているのが良く分ります。

(左から:宣教師/近隣ボランティアリーダーさん/中澤先生…互いに協力しています)

当日は、台風の近づく不安定な炎天下、協力しながら会場設置、食事類の用意がなされました。準備中は、少しでも耳慣れるようにと、ありがと音頭をBGMで流しました。また、踊りを見やすくするため、簡易ステージを作りました。

音響の萩原正典さん

本番です。挨拶の後、ボランティアの勇壮な太鼓演奏でお祭り気分が増しました。



婦人会の出番となり、私も仙台の七夕踊りを一緒に踊り、暑いので休憩も兼ねて、私のミニコンサートタイム。 その後、練習してきたという「ふるさと」を一緒に歌いました。ボランティアの方も歌に聞き入っていました。写真:ふるさとを歌う皆さん)


ふるさとを歌うみなさん


いよいよ「ありがと音頭」のお披露目、レクチャー、練習、本番と15分かけて踊ります。 練習を積んで下さった浴衣軍団が花を添え、飛び入りの方も見よう見まねで、だんだんに踊れるようになりました。 また、足の痛い方が数人、観客テントの中で手踊り参加をして下さいました。炎天下では15分が丁度よい時間だったようです。


来賓の方がリズムをとっていたり、ベランダから様子を伺う方、また、数十メートル離れた隣の市営住宅の窓を空けて、ずっとこちらを見て(聞いて)いた男性も見えました。                   
大人子供入り混じってのスイカ割は子供たちに大盛況!                                    

部屋ごとに配られたくじ引きは、外部より提供された品物が当り 和やかな雰囲気で幕を閉じました。

結果、自治会長さんは、満面の笑みをたたえ、朝から忙しく料理に洗い物に立ち回っていたご婦人方は本当に働き者でした。 総じて皆さん良いお顔で夏祭りを楽しんでおられたご様子。 子供さんの姿も見られ、大勢の協力の下、年に一度の自治会の夏祭りとしては、とても素敵な時間になったのではないかと思いました。地域コミュニティーを立ち上げる夏祭り支援に参加させて頂けて、私にとっても感謝な時間でした♪

輪投げ

家族で?
片付けが終わった頃、一人の女性が駆け寄ってこられ、「踊りも歌も、ふんわりしていてとても良かったです」とのこと。心が通じた気がして嬉しくお聞きました。ありがと音頭の効果でしょうか(^^)/

また、今にも振り出しそうだった雨は、撤収が終わって車に乗り込むのを待っていたかのように、ザーッと降ってきました。 これも、祈りが答えられて雨もとどめられていたように感じ感慨深く思いました。
 

最後に、最前線で奮闘している支援者を、後方支援することの大切さを、今回の訪問で強く思わされました。 
復興支援住宅は、仙台市だけでも49カ所もあるそうです。 被災から8年半が過ぎようとしていますが、まだまだ、必要な支援があります。 ある支援者が「被災地支援は、個人ではなくチームで交代しながらでないと続ける事が難しい…」と仰っていました。


常に最前線にいる支援者の皆さんは、広大な被災地、被災者の多さに、支援の手を停める事も休むこともままならない現実の中で動いておられるのが現状なのではないかと感じました。 支援が、使命であり喜びであったとしても、被災の影響は余りにも大きく、人間は意外にデリケートですから、知らぬ間にダメージが出てもおかしくないでしょう。

やはり、被災地の今を知っている方がおられてこそ、かゆい所に手が届く支援を届ける事ができるのではないでしょうか。 たまに伺う私達のお手伝いも生きるのです。 そんな地域密着の大事なお役目に立っておられる方々とご家族の 健康や生活が守られるよう、今まで以上に、祈り応援していく必要を感じ、緊急の課題として考えさせられました。皆さまいかが思われますか?


気さくに声をかけ、安否を問う中澤先生

さて、一夜明けて次の日曜は、市内のI教会にて、お祭りの様子をご報告しながら賛美と証の時を持たせて頂きました。 近隣にお住まいの方だったとしても、支援活動の様子をお話する事で、支援に対する理解が増すそうです。皆様真剣に耳を傾けて下さり感謝でした。


これからも、被災地の皆さまが少しでも穏やかで平安を感じられる生活ができますよう、お祈りしていきたいと思います。また、益々、ありがと音頭が楽しく用いられていくと素敵ですね♪

心からの感謝を込めて                                                              
♪萩原ゆたか♪

2019年8月7日水曜日

7月釜石支援活動報告

岩渕まことと由美子は、ちょうど一ヶ月前の7月7日(日)の夜に車で釜石へ入りました。活動は8日(月)の午後から10日(水)の午前までで、その間に5回のコンサートをさせていただきました。本来ならば活動終了後すぐに報告をアップすべきところですが、あいにく体調を崩しましてご報告ができず終いになってしまいましたことをお詫びいたします。

今回のコンサートをさせていただいた場所です。

7月8日(月)午後 大町4号復興住宅
       夜  ウクレレ会

7月9日(火)午前 橋野コミュニティセンター 
         午後 大町1号復興住宅

7月10日(水)午前 只越5号復興住宅

今回も現地でのプランは全て社会福祉協議会の高橋和義牧師が立ててくださいました。今回の特徴は新たにコンサートを計画するのではなく、すでに行われている各復興住宅でのサロンの中でコンサートをさせていただいたことです。しかしコンサートとしてはこれまでのコンサートよりも長く、約1時間ほどの内容を楽しんでいただきました。定例サロンということで集われる方々も無理なくお出かけくださっているようで、これからのコンサート開催はこのような形も良いと思わされました。
 
大町4号復興住宅
大町4号復興住宅ではコンサートの後に皆さんのカラオケ大会となりました。釜石は元々和洋問わず音曲が盛んなところです。カラオケ大会は名司会者がいらっしゃって、皆さんがその方のリードにつられるように次々に歌っていらっしゃいました。

ウクレレ会
夜は小佐野公民館をお借りしての『ウクレレ会』です。何人かの新しい方もみえられていて、和やかな時をもたせていただきました。『ウクレレ会』はひとり500円の会費制で運営されています。そこから経費を省いたものを東北応援団のカンパとしてお渡しいただいています。今回は8月31日の『ありがと音頭フェスティバル』のプログラム広告も出してくださることになりました。支援させていただく側、される側という固定された関係から、新しい関わりへと踏み出しておられる皆さんに心から敬意を表します。

橋野コミュニティセンター

9日(火)午前の橋野コミュニティセンターはラグビー場ができた鵜住居からしばらく山に入ったところにあります。もう少し先へ行くと世界遺産の橋野鉄鉱山があります。


橋野コミュニティセンターのプログラムはまず『100才体操』という健康体操から始まりました。私たちも一緒に参加しましたが、約30分間体幹トレーニングとストレッチの充実した体操でした。皆さんは毎週この体操に取り組んでいらっしゃるそうです。

コンサート終了後は直ぐに釜石市街まで戻り、午後の準備に入りました。この午後は大町1号復興住宅でコンサートです。

大町1号復興住宅
この復興住宅は以前にも訪れたことがあります。中庭があるお洒落な建物なので印象に残っていました。あいにくあまり集まりが良くなかったようですが、コンサート後には話に花が咲いて和やかな『お茶っこ』となりました。

最終日の10日(水)は初めて伺う只越復興住宅5号棟です。

只越復興住宅5号棟

こちらは明るく活気のある方が多くコンサートも盛り上がりました。しかしお茶をいただきながらお話をしていると、その明るさの陰にある、ご苦労が聞こえてきて復興の道のりの長さを改めて思わされました。

以上が今回の釜石での活動内容です。次の訪釜の予定は立っていませんが、これまでと同じペースで伺うことができたらと願っています。今後も皆様のご支援をよろしくお願いします。

岩渕まこと





2019年3月6日水曜日

釜石支援報告-2019年3月

岩渕は3月1日から4日までの3泊4日で釜石へ伺い、6回のコンサートをさせていただきました。今回は急遽、発災直後から釜石へ入って支援活動をなさった堀井さんご夫妻も同行してくださることになり、期間中は常にご一緒することになりました。

堀井さんご夫妻は牧師であり、昨年夏には東北応援団の活動のために教会からご支援を賜っています。またご夫妻がレンタカーを予約されていたので、現地での移動を助けていただき本当に助かりました。

さて釜石へ到着した足で最初に訪問したのはこれまでなんども伺った『小川のサポートセンター』です。センターはこの3月で閉じられるとのことで、今回伺えたことは自分にとって大きなプレゼントでした。『ありがと音頭』が生まれるきっかけになったのがこのサポートセンターです。それはコンサート中に踊りだした方がいらっしゃったことからヒントを得て作曲をしたのですが、曲が出来上がって最初に歌ったのもこちらでした。今回はなんとその踊り出した方もいらっしゃいました。

 

コンサートが終わってからスタッフの方からの提案で記念写真を撮ろうということになりました。


スタッフの方に見送られてサポートセンターを後にする時には、何か込み上げてくるものがありました。閉鎖後はスタッフの皆様もあちらこちらに散り散りになるとのことでした。たくさんの出会いをいただいたサポートセンターに心から感謝します。

続いて夕方からは小佐野公民館でのウクレレ会です。今回は約10か月近いブランクがありましたので、みなさんとの再会を楽しみにしていました。


今回のウクレレ会には初めて参加される方がお二人もみえられていました。それにしても月に2回ずっと継続してこられていることは素晴らしいと思います。またウクレレ会は毎回500円の参加費で運営されていますが、経費を除いた分は東北応援団の活動支援のために募金してくださっています。皆さんのそのお気持ちには頭が下がります。

2日目の午前中は天神復興住宅での『ひなまつり会』で歌いました。この場所で歌うのは2度目になりますが、前回は入居が始まった直後で何もない集会室に5人の方の参加だったことを思い出しました。あれから2年が過ぎて今回はいっぱいの方々が集っていらっしゃいました。



会場にはおひなさまが飾られていましたが、会の途中でおひなさまにまつわるクイズが出されました。それは「ひな壇の最上段の二人は左から何という呼び名でしょう」という問題でした。私は「お内裏さまとおひなさま」かなと思ったのですが、正解はどちらも「お内裏さま」でした。実は「灯りをつけましょぼんぼりに〜」で始まる童謡の『嬉しいひなまつり』の歌詞が間違っていて、そのまま間違えて覚えている人が多いんだそうです。 これは知りませんでした。

 

『ひなまつり会』では皆さん持ち寄りのこんなご馳走がふるまわれました。右上のお皿に盛り付けられた黄色いものは、煮リンゴでした。煮リンゴは初めてでしたが上品な甘さで美味しくいただきました。

この日の午後は当初予定が入っていなかったのですが、急遽山田で被災されたKさんご夫妻のお宅を訪問することになりました。

Kさんは山田の『いっぽいっぽカフェ』で何度もお会いしている方で、苗字が私の母方と同じということもあり、忘れることのできない方のおひとりです。最近はお会いする機会がなかったので、再会するのを楽しみに出かけました。

こたつを囲みながら、Kさんは震災時のことから現在に至るまでのいろいろなことを話してくださいました。話の途中からはお魚のご馳走がテーブルに並び、耳も味覚も大満足させていただいた訪問となりました。


帰りにはKさんのお宅に近くに新しく出来上がった『ハリストス正教会』の会堂に立ち寄りました。

 

またこの3月23日に全線開通する三陸鉄道リアス線の試運転に出くわしました。これで久慈市から大船渡市までが線路でつながったということになります。


ドライブ中に聴こえてきた「ゴー」っという音は、これまで聴いたことがない音だったので驚きましたが、それは近くを通り過ぎる電車の音でした。三陸鉄道リアス線の開通は沿線のみなさんに希望をもたらすに違いありません。この電車が走り続けられるように、鉄道ファンのみならず、三陸にお出かけの際はぜひお乗りください。

さらに釜石への途中にある大槌町で『ひょっこりひょうたん島』のモデルになったと言われている、蓬莱島へ立ち寄りました。蓬莱島は何度も近くを通り過ぎながら、これまではその姿を見る機会はありませんでした。


防波堤の先で灯台がかすかに赤く光っているところが蓬莱島です。震災で破壊された防波堤も再建されて島まで歩いて渡ることができます。

今年はラグビーのワールドカップの試合が釜石で開催されます。鵜住居のラグビー場にも立ち寄りましたが、もうすっかり日が落ちてしまっていて写真を撮ることはできませんでした。


3日目の午前中には浜町の集会所でコンサートをさせていただきました。今回同行してくださった堀井さんご夫妻が発災直後に入られたのがこの浜町ですので、当時のことで話が弾みました。浜町は釜石の中でも津波の直撃を受けた地域ですが、少し中心部から離れていることもあって道路や地盤の整備の方はまだまだ残っているようでした。


写真はみなさんに『ありがと音頭』の振り付けをお教えしているところです。僕があまりに下手なので皆さんが笑いをこらえきれない様子でした。

この日の午後には一気に車を飛ばして大船渡へ移動し、大船渡聖書バプテスト教会の礼拝で歌わせていただきました。こちらの教会は1回建ての屋根ぎりぎりまで水に浸かってしまいました。


十字架の付近まで浸水したとのことです。

さて最終日は復興住宅としては最後に完成し、入居が始まったばかりの浜町復興住宅でのコンサートです。ですからこちらの復興住宅では初めて住民の方々へ呼びかけた集いということでした。

集会所は建物の最上階にありました。それは今後の津波被害に備えてのことですが、そこからの景色は、私たちが発災直後にテレビで観た景色でした。防波堤を波が越える時の映像や、ビルの屋上で助けを求めていらっしゃった方の姿が脳裏に蘇ってきました。私はここに入居された方々の精神面は保たれるのだろうかと一抹の不安がよぎりました。



浜町復興住宅では3人の方が集ってくださいました。人数は少なかったのですが、地域のことを深く考えていらっしゃる方々でしたので、今後のコミュニティー作りのきっかけになるのではないかと思わされました。

今回の訪問では小川サポートセンターの閉鎖や三陸鉄道リアス線の試運転、復興住宅としては最後に完成した浜町復興住宅での初めての集いなど、発災から8年が過ぎようとしていることを実感させられる訪問となりました。

『東北応援団 LOVE EAST』は発災から10年は支援を続けさせていただきたいと願っています。それには皆様からのご支援を欠かすことができません。今後もこれまで同様にご支援を賜りますよう、よろしくお願い致します。

岩渕