2016年4月24日日曜日

≪2016年3月東北支援賛美(うた)の旅 報告≫

≪2016年3月東北支援賛美(うた)の旅 報告≫
おしゃべり賛美歌・菅原早樹

2016年3月24日から26日まで、短期でしたが、ホープみやぎさんを通して、宮城県下の仮設住宅や家の教会を訪問し、コンサート活動をさせていただきました。

ホープみやぎさんは、2013年の春にも一度訪問させていただき、多くの仮設集会所でコンサートをさせていただきました。
その時「また来て下さい、って言っていいのかな?」と控えめに、はにかみながら言って下さった方に「もちろんです!必ずまた来ます」とお約束したのに、なかなか伺う機会を作れなかった事がずっと心にかかっていました。
ホープみやぎでボランティアスタッフをしている寛美さんから、震災から5年を迎えてボランティアのあり方も変わりつつあること、経済的な事も含めて彼女の働きも、この春で終わるかもしれない、との話を聞き、「今、行かなくては」と言う思いが与えられ、この春に計画をさせていただきました。
とはいえ、今年に入ってからの急な計画でしたので、あまり日程が取れず、不十分な働きしかできなかった事が心にかかっています。
これは、きっとまた行く機会を作るように、神様が心残りを与えて下さったのだろうと思っています。

3月23日、関西から、新幹線で移動。今回は、震災後の東北をまだ見た事のない娘(この春から中学3年生)を同行しての旅でした。
仙台駅は3年前とは見違えるようにきれいになっていて、帰りにゆっくり買い物をしよう、と思っていたのですが、帰りは時間がなくなってしまい、ゆっくり見られなかった事が残念でした。
宮城の窓口である仙台駅がこのようにきれいに整えられた事は、東北にとって明るい話題なのだろうと感じながら多賀城へ向かいました。
多賀城へはスタッフの寛美さんが迎えに来て下さり、途中コンビニで食料を調達し、ホープハウスへ。
懐かしい思いと共に、旅の疲れをいやすひと時に感謝致しました。

ボランティアセンター・ホープハウス。
3.11の震災の後に建てられ、物資の倉庫や、ボランティアの宿泊に用いられています。
◆3月24日は亘理の公共ゾーンでのコンサートでした。
実は、東北でのコンサートは、何度やっても毎回始まるまで、とても緊張します。
現地の皆さんお一人お一人の現状が十分にわからない中で、何を話せばいいのか、支援の賛美(うた)の旅1日目は特に緊張感があります。
始まってしまうと結局は、ほぼいつも通りに話し、歌ってしまうのですが、始まる前は、ついあれこれ考えてしまうのです。
よく考えたら、お一人お一人の状況が違うのは、どこでも同じなのですが、やはりあの大震災の被害に遭われた皆さんを前にする事に何度伺っても慣れるという事はありません。

ドキドキして始まった1日でしたが、とにかく心をこめて歌おう、と改めて思った朝でした。
 
さて、亘理の公共ゾーンでの集会です。
もしかしたらこの集会所では今回が最後の集いになるかもしれないという事で、豚汁が用意され、皆さんとのお食事の時間を過ごした後、コンサートタイムをもたせていただきました。
 
 
具だくさんで温かな豚汁と雑穀米、お漬物と、シンプルでしたが、とても美味しく、皆さんと楽しい交流のひと時を過ごさせていただきました。
中学生の娘を温かく迎えて下さり、若いボランティアを喜んで下さっていました。
お食事のあとはコンサートタイム。

ずっとこの亘理地区で、御奉仕下さっている向後さんの御挨拶のあと、コンサート。
皆さんと一緒に歌う時間もたっぷり取り、皆さんも元気に歌って下さいました。
実はこの日、スタッフのみなさんも想像していなかったほどたくさんの方が来て下さいました。
お食事のために準備した器が足りなくなったほどだったのです。
 その様子を見た私は、とても嬉しいと思う一方で、まだまだ皆さんの心に乾きがあるのを感じました。
多くの皆さんはすでに仮設住宅を出られて復興住宅や新しいおうちに引っ越しをされた方々でした。
しかし、外に出る機会が少なく、また他の人と交流する機会も少ないとのこと。
「こういう催しがあるのならもっと早く知りたかった」とおっしゃっていた方(初めて参加された方)もおられたそうです。
その中で、こうした集会を持てる場も様変わりしつつあります。
この集会所は結局6月までは使えるそうですが、それ以降はどうなるかわかりません。
市臨時職員として働いてこられたボランティアスタッフさんも、この集会所に限らず、この3月末まで、という方がとても多いそうです。

前回お会いして一緒に写真を撮らせて頂いた方はひと目見てわかりましたから、「お約束どおり来ました」と声を掛けさせて頂きました。
また、前回も手作りのプレゼントを用意して下さっていた方は今回もプレゼントを持ってきて下さり、「覚えていましたよ」と言って下さり、嬉しかったです。
仮設住宅を出られてばらばらになっていかれても、ホープみやぎのボランティアスタッフさんは市のボランティアスタッフさんともよく連携されて、フォロー続けてこられ、このような場がもたれていることを心から感謝しました。
これからますます、皆さんがばらばらになっていく中で、このような催しは人々を結びつける貴重な役割を担っていく事を感じました。
最後まで残って下さった皆さんやボランティアスタッフのみなさん、また、駆けつけて下さった塩釜聖書バプテスト教会の大友幸証先生と。
 
この日は、1ヶ所だけの御奉仕で、スタッフのみなさんも色々と仕事を抱えておられるので、この日はあまり出歩かずに、夕食も、お買い物をしてホープハウスで食べ、翌日に備えさせて頂きました。
翌日は、この日よりさらに時間の制約があること、また色々な御要望もあり、プログラムを考え直す必要があったのですが、この時間に、十分祈り、翌日に備える事が出来ました。
3月25日は若林区でのコンサートでした。
午前中はニッペリア仮設での集会でした。
ここは、サッカーのグラウンドがある場所ですが、震災以降仮設住宅が建てられていました。
集会所は仮設ではなく、そちらの施設のクラブハウスを使わせていただいいたそうです。
こちらは、大友さんご夫妻が震災以降毎月、集会を続けてこられた場所で、聖書や神様のお話もさせていただける集会でした。
大友さんご夫妻も津波で被災され、大変な中にあって、信仰によって立ち上がり、多くの人のケアをしてこられました。
こちらでの集会は、今回で最後とのことで、名残のコンサートになりました。

最初に音楽に合わせて軽い体操。
そのあとコンサートタイム。
この後、塩釜聖書バプテスト教会の大友幸一先生がショートメッセージをして下さり、軽食がふるまわれ、皆さんとの交流の時を持たせていただきました。

 やはり、ここも、かなりの方が仮設を出られたそうですが、一方で、「復興住宅がまだできないので待っているんだ」という方もいらっしゃいました。
皆さん、明るいのですが、復興は「まだまだ」という思いを持っておられるようにも感じました。

こちらでの集会は今回で終わりですが、午後に集会がもたれた大友さんご夫妻の家の教会で、今後もコンサートなどのイベントを行っていかれるそうで、是非、この中からそちらに参加下さる方が起こされますようにと祈りました。

午後は、ハートフル港南という、大友さんご夫妻の家の教会での集会。
御自身も津波で家の1階部分が全部流されてしまった御夫妻が、2年前に引っ越しされたお宅。
1階は集会ができるようにたっぷりスペースがとってありました。
こちらでは御近所の方をお誘いしてのコンサートで、今年になってから初めてのコンサートだったそうです。

こちらは、定期的にカフェタイムが開かれるなど、地域に根差した伝道活動を展開しておられます。
ピアノの上には、クラフト教室で作られたロールちゃん(トイレットペーパーカバー)が飾られていました。

こちらに集われた御近所の方々は、津波などの被災者ではありませんが、同じ震災を通り超えてこられた方々であり、共に復興の過程におられる皆さんでした。
また、ニッペリアの集会にも出席されていた方で、震災以降信仰をもたれた方も出席して下さり、私自身もとても励ましを受けた集会でした。

この日は、小学生のお友達もボランティアに加わって下さっていました。
最近バプテスマを受けられた方で、ボランティア活動をしておられる方々の後姿を見て、「自分もあんな風になりたい」というところから信仰を持ち、ボランティアに志願されたとのことでした。
こんなふうに、ボランティアの働きが実を結んでいることを見させていただけたのも、大きな恵みでした。

この日は、早くも宮城で最後の夜になるという事で、ボランティアスタッフの寛美さんと、協力宣教師のロバートさんご家族と共に交わりの時を持たせていただきました。
ロバート宣教師ご夫妻は震災後、宮城に来られ、支援の働き、また教会の働きを続けておられます。
3年前にもお会いしましたが、奥様はその後 日本で2人のお子さんを出産され、変わらずに東北を愛し、仕えて下さっていることを感謝します。

◆3月26日は、午前中からお昼にかけて、教会のキッズプログラムがあり、コンサートができないので、プログラムのお手伝いをさせていただきました。

教会学校の子供さんたちや、英会話に来ておられる子供さんたち、またその親御さんを含めて、50名以上で集まって地域の体育館でチーム対抗のゲーム大会(玉入れ、二人三脚、綱引きなど本格的!)。
お昼ごはんは教会での手作りハンバーガー。
最後は教会でもう少しゲームをして、午前中のゲーム大会の結果発表。
楽しいひと時を皆さんと過ごさせていただけた事を感謝致します。
体が動かないわたしでもお手伝いできることがあるかしら、と心配していましたが、結構、お手伝いする事がたくさんあって、嬉しかったです。
キッズイベント終了後、少し休憩をとってから、七ヶ浜見学と、訪問に連れて行っていただきました。
この日の七ガ浜は、とても穏やかで美しく、ここから津波が襲ってきたことなど微塵も感じられませんでした。
しかしこの松林は震災前はもっとたくさん生い茂っていたとのこと。
またこの松林の向こうには、津波で流されてしまった平地が広がっていました。

そのあと、仮設を出て復興住宅に引っ越された2軒のお宅を訪問しました。
1軒目は建築関係のお仕事をしておられたという男性の方。集合住宅でのお住まいでした。
3年前に七ヶ浜の仮設でお会いしたと思うのですが、ご本人もたくさんのボランティアさんが来られた中で覚えてはおられませんでしたし、わたしもはっきりと「この方」という記憶はありませんでしたが、今回、たくさん個人的にお話しをお伺いする事が出来ました。
津波で一切を無くされた中でも、お家のあったところに出掛けて行っていくつかのものは見つける事が出来たとのこと。
また、以前お仕事しておられる姿をプロのカメラマンの方が撮って下さった写真が、巡り巡って見つかり、手元に戻ってきた、というのも見せて頂きました。
御病気もされて、色々と困難のあられるなかで、閉じこもっていても仕方がないと、前向きに生きておられる姿が印象的でした。

もう1軒はやはり七ヶ浜の仮設住宅で、集会のお世話をして下さっていたというご夫妻。戸建て住宅でのお住まいで、御主人はお留守でしたが、奥様が待っていてもてなして下さいました。
わたしたちが励まそうと思ってお伺いしているのに、地元の畑で採れた菜の花のおひたしや、煮物など、色々な心づくしを用意して待ち構えていて下さったのです。
短い時間でしたが、やはり、こちらの方も、とても前向きに、そして、周りの方々をも励ましたいとの思いを持って歩んでおられることに、感動しました。
2軒目に訪問したお宅の前で


◆今回は日程が短く、少ししかコンサートができなかった事が本当に残念でした。
一方で、訪問にも同行でき、コンサートだけではない御奉仕もさせていただけた事を感謝しています。
復興が進む中で、ますます多様化するニーズにこたえるため、ボランティアスタッフさんの尊いお働きが続けられていることを心から感謝致します。

津波が来たところに立っている復興住宅に住まわなければならない不安。
せっかくの美しい景観を損なう大きな防波堤。
「それよりも、もっとこうしてほしい、ああしてほしい」という地元の人々の願いや意見は置き去りにされているようです。
また、すでに仮設を出ておられる皆さんも、復興住宅の完成を持っておられる皆さんも、まだまだ復興は「ゆっくりゆっくり」とおっしゃっていました。
仮設住宅を出てからのフォローという課題を抱えておられるボランティアスタッフの皆さん。
わたしたち遠方からの支援も、形は変わっても、まだまだできる事がある限り、続けていきたいと願わされています。
引き続き皆様も、是非 東北を覚えてお祈りいただければ幸いです。

◆今回の東北支援 賛美(うた)の旅に際しましては、東北応援団Love Eastさんから、必要経費の一部を御支援頂けました事を心より感謝致します。
東北応援団は、震災当初より、アーティスト派遣によるコンサート支援や、また被災地でのウクレレ教室の開催、その他各地でのチャリティーコンサートなどを続けておられます。
続けて、これらの働きのためにもお祈りいただければ幸いです。