2015年9月9日水曜日

9月の釜石は夏だった

 自宅を出発する時0にリセットした車の距離計が1000キロに達して0に戻ったのは、帰りの東北道の白河付近でした。てっきり1000というカウントになると思い込んでいた私は少し拍子抜けをした感じで笑ってしまいました。今回の釜石への旅の総走行距離はおおよそ予想していた通り1196.2キロとなりました。




 どうして今回は車の移動を選んだのかと言いますと、夫婦で伺うので交通費を少しでも安く抑えたいことと、現地でスタッフの方々の手を煩わせずに動けるようにということ、さらに音響機材の不足分を積んで行けるということでした。しかし今回は片道600キロの移動ということで、釜石の前後に宮城県内で宿泊をしたので、電車での移動に比べてそれほど安く上がったということにはなりませんでしたが、やはり夫婦で伺う場合は車のスタイルがベストだと思います。

 さて8月後半の関東は気温が下がって、秋のような気候が続いていました。ですから釜石は長袖に一枚羽織る物も持っていかなければ風邪をひくなと思い、スーツケースにそれなりの着替えを詰め込んで行ったのですが、9月2日の日、宿泊していた一関から釜石へ向かう途中から日差しが差し込んできて、釜石へ着く頃にはさわやかな夏空が広がっていました。湿度が高くないので関東のような蒸し暑さはなく、子供の頃の夏を彷彿とするような「夏」が待っていてくれたのです。


 最初の訪問地は尾崎白浜地区です。ここは釜石の南にある半島にある町、というよりは集落と言った方がよいところです。半島の入り口の国道45号線から20分ほど曲がりくねった山道を進むと尾崎白浜です。その少し手前にみごとな林があり、おもわず車を降りて写真を撮りました。







 この林でしばらくの時間を過ごしながら、三陸の自然の豊かさと魅力が身体に染み込んでくるようでした。この魅力を強く感じられるのはきっと地元の方々ではなく、こうしてやってくる旅人に違いありません。支援活動として訪れるとどうしてもその活動に集中してしまい、そこにある宝物に気がつくことができないようにも思います。これからは三陸の豊かな宝を探すんだ、という気持ちも併せ持って活動をすることも必要だなと思います。三陸の魅力を発信することも大きなくくりでの支援となることに気づかせてくれたこの林に感謝をします。

 尾崎白浜での様子は直後にFacebookに投稿した文章とシェアした「いっぽいっぽ岩手」さんの写真をこちらに紹介します。
Makoto Iwabuchiさんが一般社団法人 いっぽいっぽ岩手さんの写真をシェアしました。
尾崎白浜はその昔、釜石市内へ行くのには巡航船を使っていたという半島の町です。ここには初めて伺いましたが、海からすぐに駆け上がるような急な傾斜地に家が建ち並んでいる漁業の町でした。
今日の尾崎白浜は久しぶりの太陽が照りつけていましたが、その日差しの中をみなさんが海沿いの集会所まで集ってくださいました。
1曲目はオリジナルの「スマイル」という曲でしたが、軽いシャッフルのリズムに合わせて踊りが飛び出しました。
選挙が近いようで、コンサート中には横の道を何台もの選挙カーが名前を連呼して通り過ぎたりして、思い出に残る時間になりました。
みなさん楽しい時間をありがとうございました。


釜石市尾崎白浜の番屋でお茶っこ。岩渕まことさんご夫妻が歌い始めました。
すると85才のお母さんが踊り始めました。


尾崎白浜では笑いがたえず、踊りまで飛び出すほどの楽しい時間となりました。これまでの私はどこかで「歌うたいとして支援に伺っている」というような少し肩を張ったようなところがあったように思うのですが、5月に釜石へ向かっている電車の中でふと「ひとりの人として行こう」という気持ちが強く起こってきました。今回も「歌を歌いに行く」ということではなく、まずシンプルに「人」としてみなさんと出逢うことができたことで、緊張感もほぐれてある種の和らぎをもたらしてくれたように思います。それは今回のどの場所でも同じでした。この事を通して支援に行く者のメンタリティーがいかに大切かも改めて教えられました。きっとこれは私個人の内面の変化だけではなく、大震災後に過ぎ去った時間が、出逢う私たちお互いをそうさせてくれているのだと思います。
 この日の夕方からは恒例のウクレレ会です。私は年に数えるほどしか参加できませんので、実際は「いっぽいっぽ岩手」の代表であり私の活動をコーディネイトしてくださっている高橋和義先生が2週間に1度のペースで会を継続をしてくださっています。ウクレレ会に留まらず、私が初めて伺う場所で和気あいあいとした中で歌わせてもらえるのも、高橋先生をはじめ「いっぽいっぽ」のスタッフの皆さんの継続的な活動とそこから生まれた信頼のゆえです。

 ウクレレ会の様子もFacebookからお借りします。


Makoto Iwabuchiさんが一般社団法人 いっぽいっぽ岩手さんの写真をシェアしました。
今日も楽しいウクレレ会でした。最後はみんな一緒にオーシヤンゼリゼを歌い弾きで大盛り上がりでした。
明日は11時に交流プラザいっぽいっぽ山田で、午後2時から釜石中妻地区生活応援センターで歌います。
みなさん聴きにきてくださいね。


尾崎白浜からとんぼ帰り。
午後5時から釜石のいっぽいっぽボランティアセンターでウクレレ会。
今日はスペシャルのコンサートです。


 釜石での2日目は午前に山田、午後に釜石でのコンサートです。


 

山田の「交流プラザいっぽいっぽ山田」では何度か歌っているので顔見知りも少なくありません。ですからどんなセットメニューにしようかとそれなりに頭を悩ませました。山での様子を伝えるFacebookです。
Makoto Iwabuchiさんが一般社団法人 いっぽいっぽ岩手さんの写真をシェアしました。
山田では3~4回目のライブです。何人かの方は顔見知りになっています。今日はアンコールで「オーシャンゼリゼ」を「オーヤーマダー」にかえてみなさんと熱唱しました。


岩渕まことさん、由美子さんコンサート。
今日の午前中は私たちの山田のカフェです。
今は横田めぐみさんのための歌、「コスモスのように」を歌っておられます。
心に染み込んで涙がでてきます。
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こちらは釜石の様子です。

Makoto Iwabuchiさんが一般社団法人 いっぽいっぽ岩手さんの写真をシェアしました。
こちらは会場全体が写っています。お出でくださった方々は仮設住まいの方、復興住宅に入居できた方、そして元々この地或にお住まいの方とそれぞれ事情が違います。復興が進む中新たなコミュニュティー作りが大きな課題です。


午後は釜石市中妻公民館。
前回聞きに来てくださった方々が半分ほどもおられます。


 2日目の夜は宿泊先の釜石ボランティアセンターでスタッフの方と一緒に夕食をいただきました。ボランティアセンターには専任の管理責任者が常駐しており、この春からは長期のボランティアで活動をしている香港とオーストラリアの青年2人も住み込んでいます。ワイワイガヤガヤと他愛もない話をしながらの時間が疲れをほぐしてくれます。そして2泊3日の予定はあっという間に過ぎていきます。

 最終日はボランティアセンターに近い復興住宅の一角での「おちゃっこ」です。ここでは毎回ラジオ体操から集いがスタートするとのことで、今回もまずはラジオ体操からスタートなのですが、それがなんと気仙語のラジオ体操で、最高に可笑しいんです。動画を撮ったのですがさすがにここではご紹介できないのが残念です。

 こちらでも皆さんが被災された時のことをいろいろと話してくださいましたが、それぞれの体験されたことを思い描くと言葉を失ってしまいます。

 今釜石エリアでは復興住宅というしっかりとした建物が出来上がってきており、仮設から復興住宅へ入居した方、いまだに仮設暮らしを余儀なくされている方、そしてもともと住んでいらっしゃったところへ仮設や復興住宅ができて生活環境が変わった方と三者三様の方がいらっしゃいます。これからはそういうみなさんの新たなコミュニティー作りが必要になります。それにはちょっとした集いやコンサートでの出会いが意味を持ちます。

 次に釜石へ伺えるのは来年の1月以降になりそうですが、被災地へ何か重たいものを抱えて出かけるのではなく、ひとりの隣人としてより自然体ででかけてゆきたいと思います。

 この10月にはサンフランシスコのベイエリアの方が骨を折ってくださり、復興支援のシャリティーコンサートが何箇所かで開かれます。こちらはサンノゼのサンタクララのポスターです。




 ベイエリアのみなさまぜひ各地のコンサートにお出かけください。そしてぜひ”東北応援団 LOVE EAST”の音楽の種まきをご支援ください。
 最後に今回の釜石での活動のために多くの方々から寄せていただいた支援金を使わせていただきました。心から感謝申し上げます。

 ”東北応援団 LOVE EAST”の活動は細く長く継続していきたいという願いを持っています。今後もみなさまのご支援をよろしくお願いします。

                           (文責:岩渕まこと)


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